人は慣れる

ここ数日間、久しぶりに自宅から都心に仕事で出かけた。1か月以上も自宅勤務を経験すると、それが日常になり、電車に乗ることに違和感があった。事務的な仕事、委員会、審査会など様々な仕事を終えて、帰りの電車に乗る頃は、魚釣りで糸を引く感覚に似た手ごたえが昼間の活動にあって、元の顔と気持ちに戻っていた。お風呂に入って夕ご飯を食べる頃、少ししか飲めないアルコールを喉に流しながら、家内と雑談をしながらテレビを眺めている、くつろぎのひと時があった。考えてみれば、自宅勤務になった時も、同じような違和感とくつろぎがあった。長い休み、といっても休みでは無い日々、仕事場は2階にある書斎なので、これから出勤します、と言って2階に行く、その毎日が重なると、それが日常になって、体に染み込んでくる。人は、慣れる動物らしい。だから、生きていけるのだろう。都心への出勤になれば、一応スーツを着てカバンを持って駅まで歩いていき、その途中で近所の人や道端の野花や川の流れや建築中の家や、ゴミ収集所や床屋や花屋や、数えれば切りがないほどの自然や人や建物に出会う。そんな毎日が、少し変わって自宅勤務になると、服装もお昼ご飯も気持ちも変わってくるが、いつのまにかそれで満たされている。コロナ禍もあまり心配することもないのだ。どんな事態でもあっても、人は慣れるという天から与えられた能力と知恵で、時に緊張したり喜んだり不平を言ったり安らぎを感じたりしながら、日常という日々を送ることができる。平凡だが、日常とは有り難いことである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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