今日は2月1日の火曜日、今は夕方で、もう書斎から見える空が暗くなっている。ブログを書き終わる頃は、真っ暗になるだろう。今週は、時間的な余裕がある、タイトなスケジュールではないので、どこか気持ちがリラックスしている。先週の日曜日は、朝から夕方まで、文字通りパソコン画面と睨めっこしながら、1日を過ごした。と言っても、気難しい顔をしているのではない、子供たちの元気で明るい笑顔を見ながらの、大イベントに参加していたからだ。挨拶をしたり、コメントを言ったり、賞状を出したり、と言っても、すべてオンラインだが、目が離せない1日だった。別に隠す必要もないだろう、minecraftカップの最終選考会と表彰式という晴れがましい席に、参加したのだ。オンラインであっても、華やいだ会場の雰囲気は伝わってくる、会場には関係者が対面で集まっていたが、自分はオンラインでお許しいただいたのだが、リアルタイムなので、臨場感に溢れている。今時珍しい、ことも、うなずけるだろう。オミクロン株の猛烈な感染力の前に、人間の非力さを痛感させられて、どこか自信を失っている、過ぎ去るのを待っている、という諦めに似た感情が漂っているからである。東京はもちろん、所沢市内でも、学級閉鎖は当然ながら、休校措置など、また緊急事態宣言と同じような状況を呈してきた。元気が出ないのである。しかし、この賑やかさや明るさはどうだろう、そこだけスポットライトが当たっている舞台のように、光り輝いている。それは、たぶん、鈴木寛委員長の人柄にもよるのだろう、まだまだ大丈夫、まっしぐらに進んでいこう、未来は明るい、というメッセージを放っている、それをオーラと言うなら、その通りである。持って生まれた天性だろう、そのお陰で、この大イベントは、盛り上がった、自分は少しだけお手伝いをした程度だが、受賞した子供たちから、元気と勇気と生きる力をもらった。猫ばかり日向ぼっこの漁師町(神宮斉之)の句を新聞から引く。さびれた町では、この通りだろうが、今は日本全体が、似たような空気に包まれている。日曜日に元気をもらったせいか、昨日の月曜は、足にギブスをはめたまま、スポーツジムに行った。足を使わない軽い運動だったが、それでも、身体の中から、新しいエネルギーが生まれてきて、まだまだ大丈夫と励ましてくれる。どこでも、いつでも、どんな時でも、元気は生まれてくる、心配ないのだ。
世の中の楽しみ
今は土曜の夕方で、少し日が長くなった。書斎の窓から外を見ると、もう真っ暗だが、先ほどまでは、薄ぼんやりした空が、少し赤みがかって、真正面の窓に映っていた。自分の机の左の窓が南向きで、正面が西向きの窓で、この書斎には、東向きの窓もあるので、昼間はずっと陽が入っている。さすがに直射日光は暑いので、日中は南向きの窓に白いカーテンをして陽を和らげているが、西側の窓は、常に白いカーテンをしている。正面なので、まぶしすぎるからだが、今日のような冬の夕日が白いカーテン越しに差し込んでくると、心が和む。今週は、忙しかった、オンライン審査が主な理由だが、それ以外にも、いろいろあった。それも、昨日で一段落ついた、と思ったら、自分の身体のことが心配になってきて、もう1ヵ月以上、5週間以上も、運動をしていない、お風呂上がりの体重計は、情け容赦もなく、正確に運動不足の結果を、はじき出して表示している。特に、体脂肪の数値が上がって、これはどうしたらいいか、と家内に聞いたら、冬場は身体を外気の冷たさから保護するために、体脂肪率が高くなるのだから心配ない、という医者のような言葉を言うが、あまりにも上昇するので、数日前から散歩をしている。ギブスをしたままなので、歩きにくいし、長い時間では、やはり痛みが走るので、あまり無理はできない。しかし、もう1週間ほどすれば、ギブスは自分で勝手に取って良い、と医者から太鼓判を押してもらっているので、安心しているが、実は、寝る時には、足を使わないのだから、という理由で、自分で勝手にギブスを外している。だから、お風呂上りが、自分には、心身ともに解放される極上の時間なのである。今日も、先ほど散歩も済ませ、午前中は、取り組んでいるテーマの原稿を書いているので、それなりに楽しんでいる。足が痛くなろうと、歳を取ろうと、世の中は、それなりに、楽しみはあるだろう。新聞にこんな句があった、永らえて誕生祝いの面映ゆしデイサービスの皆の笑顔に(長屋雅子)、なるほど、デイサービスも幸せを感じる場にもなるのか、この世は捨てたものではない。
足の骨折は長い
忙中閑在り、の言葉通り、今週もタイトなスケジュールだが、今日の午後はぽっかり空いた。午前は、オンラインでの録画があり、企画しているテーマの原稿の草案を書いていたのだが、午後になって、何か眠気がさして集中できないのだ。きっちり睡眠時間は取っているのだが、どこか熟睡していないのかもしれぬ。左足指の骨折でギブスをはめているが、先週の土曜日に病院に行って、もう治癒したから、という言葉を期待していたが、そうではなく、2週間はそのままギブスをして、それから外して良い、その後2週間後に、病院に来るように言われた。つまり、病院と2か月間付き合うことになる。自分の身体や頭を過信する悪い癖があって、もう身体も無理は効かない年齢になっていても、何でもないと思ってしまう。今日も、置いていたはずの書類が、どうしても見当たらず、最後は見つけたが、そんな思い込みが多くなった。不思議に専門のことだけは、まだ忘れていないようだが、他のことは、健忘症が襲ってきている。なんだ足指の骨折くらい、と思っていても、長く歩くと痛むのだから、完全に骨が付いてはいない。この際、しっかり養生しようと思うが、もう1ヵ月以上、ジョギングはおろか、まとな散歩もできていない、足も弱ってくるのか、体脂肪も増えてきた。早朝の1時間のジョギングの爽快感はどこに忘れてきたのだろうか、この寒さであっても、汗びっしょりになって、ああ快感と叫んだのは、もう夢の世界だったのか、人の生活も、一瞬にして変わってしまうのだ。六度の入院三度の手術を耐え抜いて映す鏡にほうれい線濃し(稲本真由美)の句が新聞にあった。こんな人もいるのだ、なんと凄い人なのだろう、そう思えば、自分など足元にも及ばない。小さなことで落ちこんでいる時、自分に自信が持てなくなる時、頑張れよ、大丈夫だよ、と言われるより、こんな句の方が、ホッとするのは、自分の心の狭さなのだろうか。よく人から、元気があって羨ましいとよ、と言われることが多かったが、あれは、他人から見れば、面白くもない人間に映っていたのかもしれない。しかし、あれこれ考えても仕方ない、いいではないか、たかが足の骨折だ、松葉杖なら2ケ月の入院だが、そうなったら、オンライン審査とかオンライン講演とか録画など、呑気なことは言っておられず、すべてが終わる。まあ、命に別条がある訳ではない、と思えば、この世の中は、十分生きていける。
夜更けの寝酒
忙しかった1週間が終わろうとしている。昨日で、オンライン審査の前半が終わった、ホッとしているのと、少し疲れたのと、2つが混じって、昨日はぐっすりと寝る予定が、何故か夜中に目が覚めてしまった。なかなか寝付かれない、えいままよ、と起きて、1階の居間に降りて、寝酒のウイスキーを出して、飲んだのだが、所在ないので、エアコンの暖かい空気に早く触れたくて、食卓からパソコンが置いてあるテーブルに移動して、シラスと漬物を魚にして、飲みながら、パソコンを開いたら、最近の演歌の動画が流れてきた。歌手名は知らないが、哀愁のある歌詞とメロディーに惹かれて聴いていると、真夜中のオンザロックと、良く似合う。そう言えば、若い頃は、夜更かしで、この時刻ではまだ起きて、本を読んだり、音楽を聴いたり、何かしていた、真夜中1時は、若者にとっては、まだ活動時刻だったような気がする。人並みに、異性を好きになり、そして別れ、苦い思いをし、空しい思いに駆られ、自己否定し、左翼系の本に感化され、と言っても、行動に移す勇気もなく、時の流れに沿って、生きてきたのか、と失恋の演歌を聞きながら、昔の自分に戻った。しかし、今こうして生きている、生活できている、その時は、不可能だとか、無理だとか、自暴自棄だと言いながら、過ぎてしまえば、なんとか乗り切ったではないか、心配することも、不安になることも、何も要らないのではないか、自己否定などの言葉が流行った頃、あれは、若者の甘えではなかったのか、世間を知らない、駄々っ子のようなものなのか、仕事に就けば、そんなことは吹き飛んでしまう。今でも、もう無理だと思っていた審査系の仕事も、なんとかこなしているではないか、むしろ何もない方が、寂しい人生なのだ。若い頃は、未熟さゆえに悩み、若さゆえに挑戦していく、そして挫折する、それで良いのだ、人生は計算通りいかないから、もがきながら年齢を重ねていき、知恵が付いてくる。暮れ早き部屋に布団を敷き終えて変わらぬ日々をふと淋しみぬ(白鳥蕗子)の句が新聞に在った。老いると言うことは、そういうことなのかもしれない。
オンライン審査
今日は火曜日の夕方、書斎の窓から外を見ると、もう真っ暗で、冬だと実感する。今日は、朝から夕方まで、パソコン画面に向かってオンライン審査に加わった。もう、これ以上は、考えたくない、資料も読みたくない、と思いつつ、今日は審査の始まりだから、もう少し資料をチェックしていれば、明日から楽になると思っても、脳が断っている。しかし、逃げているのではない、自分なりの努力をして、なんとか初日の審査が終了したのだ、上出来だ、と思いつつ、世の中の専門家とはなんと凄いのか、といつも思う。自分は番付言えば幕下で、専門家の中には大関・横綱クラスがいるので、専門とはいかに幅が広いのだろうか、と思う。1階に降りて、休憩時にお茶を飲んだり、昼食を取ったりするが、ようやく終わった時は、マスクをして近所を歩いた、と言っても数分程度だが、風が冷たい、冬なのだ。オミクロン株が猛烈な勢いで感染し、トンガの国で海底火山が大爆発し、と世間は物騒な出来事で満ちていることを思えば、部屋の中で、暖かく仕事をしているのは、贅沢だろう、震えるような肌寒さの外気から、玄関を開けて中に入ると、なんと暖かいのだろう、エアコンが効いて、その温度差を体験すると、家とは、家族とは、夕食とは、お風呂とは、何と素晴らしい贈り物なのか、有難さが身に沁みる。生きようと精一杯の人乗せて救急車行く風花の街(谷吉修一)の句が、新聞にあった。粉雪が舞うような寒い日に、救急車が行く、その中には、必死で生きようとする人が乗っている、そう言えば、似たような光景を数日前に見た。誰でも、経験しているだろう、乗っている人が身内だったら、と思えば、外の冷たさなど何でもないだろう。家の中で暖まっている人、冷たい外で仕事をする人、人の命を運ぶ人、そして命を救う人、様々な人間模様が動いている。自分にできることは、不平を言わず、感謝して、せめて審査をして、少しでも世の中に役立つことだろう。
終活をする
今は、1月16日の日曜日、時刻は午前11時とブログを書くには相応しくないのだが、ふと時間が空いた。午後は月に一度のお墓参りと買い物と外食と、審査系の仕事が待っている。日曜日くらい、ゆったりするほうが良いのだが、持って生まれた貧乏性なのか、時間がもったいないと思って、画面に向かっている。来週から、いよいよオンライン審査が始まり、もう机にしがみつくしかない、ブログも書けるかどうか、さらに、教員研修用に、ビデオ録画があって、さらに研究実験も入っていて、月曜から日曜まで予定がびっしり詰まっている。現役の時でも、こんなタイトなことは無かったように思うが、有難いことだ。土曜日の午後は、足の診察のために病院に行くが、これでギブスが取れれば、気兼ねなく散歩もできるだろう。足の骨折のお蔭で、外に出れず時間が取れたので、何とか審査系の準備ができたのだから、世の中の因果関係を、凡人が予測することは不可能である。昨日は、ある役職の引継ぎの打ち合わせをして、どこか荷が降りた。今年で年賀はがきの打ち止め、身の回りの整理、銀行口座のまとめ、仕事関係や役職の収束など、終活をしている。以前は、なんとなく寂しい気もあったようだが、昨日は、逆に嬉しく清々しい朝を迎えたような気持になった。自分にご苦労さん、という表現がぴったりなのだが、実はそうではない、安堵をついた、のでもなく、まだ先に夢をを持って、ともまったく違う、強いて言えば、恐れ多いが、水戸黄門のような感じなのだ。忙しいのだが、なんとかこなせる、優秀なスタッフや後輩たちがやってくれる、何かの時にはお役に立とう、と言うと、少し格好が良いかもしれない。まあ、年相応に頑張ろう、ということだろう。もうすぐ、お昼時間になる、家内と車で出かけて、気楽な時間を過ごそう、空もよく晴れている。
老人の心境
いろいろあって、忙しくなったが、どうも不思議な気がする。昨日は、水曜日で、隔週だが夕方6時からのオンラインのセミナーがあった。ゲストが素晴らしい先生だったせいか、評判がいいようで、さすがにベテランだ、と敬服した。ただ、今日も時間に追われ、資料造りに夢中になって、他の仕事を脇に置いて、という生活なので、このブログも手帳に書いて、忘れないようにしている。と言うのも、手を外すと、元に戻れないような気がするので、これも自分の仕事の内で、ずっと続けたいと思っている。かつて団体の役員を降りた時、と言っても、今は別の団体の役員をしてるが、これからは、組織に頼れないので、自律するしかない、連絡先も分からないようでは困るだろうと思って、始めたブログなので、その初心を忘れてはいけないと、自分に言い聞かせている。ただ、心境は変化している。左足の親指の骨折で小さなギブスで固定しているが、なんだこれしき、と思っていても、まだ3週間しか経っていないので、長い時間歩くと、痛くなる、すると、おかしなもので、老人の心境に近づいてきて、日向ぼっこがいい、暖かい縁側に腰を掛けて、などと思う。そう言えば、自分の両親も、この自宅に来た時は、日だまりで、うとうとと居眠りをしていた、やがて、老人介護施設に入居したが、というか、老人病院だったが、2人揃って入院した、そして、父親が亡くなってから、49日目に母親も亡くなった、それは7日の倍数なので、両親とも木曜日に亡くなり、金曜日に通夜、土曜日が葬儀で、月曜から大学に行ったので、今思えば、親不孝者だったのだ。でも、家内も4年近く毎日病院に通い、その前に、静岡まで遠隔介護を4年位したので、それで許してもらおう。病院では、和やかで、認知症だったから、よく分からなかったようだが、にこにこしていた。徘徊の母を見つけて帰る道空は夕焼けあしたも晴れだ(椎名昭雄)の句が新聞にあったが、作者はよほどの親孝行者で、母親を見つけて、よほど嬉しかったのだろう。今年で最後の年賀状にしたので、そろそろ終活の支度をしている。ほっとするような寂しいような心境ではある。
病院と夕日と
今日は9日の日曜日、あっという間に時間が過ぎていく、週2回のブログを自分に課して、今は西日が2階の書斎に入ってくる夕刻前である。冬の日差しは、身体を労わるかのように優しい。3が日が終わって、今週は思いもかけず大雪が降った、が、それもすっかり忘れて、何も知らない子供のように、所在なく窓から景色を見ている。そう言えば、昨日は病院に診察に行ったのだ、足の親指の骨折、と言ってもヒビが入ったのだが、医者に言わせれば不完全骨折が学名だそうで、これで硬い板と包帯から解放されると思って、土曜の午後に予約した時間に、予定通りに診察してもらった。順調に治癒していますと言うので、有難いと思い、いつから散歩やらジョギングをしようか、と思っていたら、2週間後に来てください、と言われてしまった。どうも骨折の場合は、最低でも1ヵ月くらいかかるらしい。これで、予定が狂った、新幹線で行く予定だった出張を早速、オンラインに切り替えてもらうメールを出した、新幹線の切符もキャンセルした、自分は短気で、早とちりで、自分を過信するところがある。病院の帰りに、久し振りに整体院に行って、事情を話したら、十分に足を労わるように諭された。その通りである、揉んでもらって、少し楽になったが、自宅まで歩いたら、少しまだ痛い。本当に、医者と整体院のプロの言うことを聞こうと思い、今日は、包帯した足に合うように、運動靴を買った。足は相棒である、冬の日差しに心が癒されるように、足も癒してやらなければ、と思う。旅先で転んだら、と思えば、オンラインというテクノロジーは有難い。そして、もう絶対無理だと思っていた、SSHの審査がほぼめどが立ち、もうこれで審査は大丈夫になった、これも外出を控えて、書斎で仕事をする時間が増えたからだと思えば、何も不安がることもないし、心配することもないのだ。新聞にこんな句があった、蜜柑山登りつつ海展(ひら)けつつ(和田亘生)、伊豆高原あたりで小高い場所に登っていくと、大海原が眼下に見える経験をしたが、その爽快感は忘れがたいが、この作者も同じだろう。海を見ると、心が広くなるのは、どうも人は外形から影響を受ける単純な動物らしい。病院にいる時は、患者で溢れ、自分も病人らしく振舞い、書斎から夕日やマンションなどを見ると、気が大きくなって、車で伊豆の温泉でも行きたくなる、側にあるCDカセットから音楽が聞こえてくる、夕暮れ前のまだ明るい空は、自分を旅人にさせる。明日も休みか、だがオンライン打ち合わせが2つ入っている、まあ、それもいい、今夜も美味しい食事が待っている。
正月雑感
今日は1月3日、元日に家族が集まって、総勢10人、自宅が急に賑やかになった。そして、昨日2日の午後にそれぞれが帰宅して、元の2人の生活が始まった。それもまた良し、時間は、アッと言う間に経って、まるで夢を見ていたような気持ちがする。ふとパソコンのgoogleの写真を見たら、サービスだろう、2年前の同日の写真が表示されていた。よく見ると、箱根駅伝のテレビ画面が映っている、そうか確かに1月2日の写真である。昨日は、家族で人生ゲームをやっている光景の写真を撮ったのだが、違うのはマスクである。今年は、家族であっても、食事以外はマスク着用のルールを守り、ゲームに興じている。2年ぶりに娘夫婦と息子夫婦と4人の孫が集まり、先に書いた人生ゲーム、公園でバレー、お宮参り、そして書初めをして、元日はBBQを小さいながら庭で楽しんだ。ただ、元日は、快晴ながら風が肌寒いが、なんとなく外で食べたり飲んだりするのは、どこか洒落ていて、気持ちが豊かになる。そう言えば、BBQは、昔半年だが滞在したカリフォルニアのアーバインを思い出す、借りていた家の庭にガス栓の口があって、いつでもBBQができるようになっていた。あれはアメリカの良き時代だったのか、BBQは、西部開拓で野外で食事をする名残かもしれない。暖かくなったら、日本のどこかに気ままな旅をして悠々とBBQをやってみたい、と思うが、家内から猛反対されるだろうし、まあ、そんな元気も薄れてきた。人は日々の暮らしの中で、喜びも悲しみもやってきて、そして、1年1日が如く、生きていくのだろう。それで良いのだ、正月のような特別な日は、長くは続かないし、楽しさも薄らいでいくだろう。やがて、暖かい陽光が降り注ぐ季節がやってくる。深呼吸風の匂いも冬初め(佐久間房江)の句を、新聞から引く。しばらくは、この冬と一緒に過ごしていこう。自分は5日が仕事始めで、オンライン会議が始まる。春風が吹いてきたら、ゴールデンウイークになったら、生ビールが美味しい夏が来たら、また家族が集まりたい。
人生模様
今日は大晦日、午前に今年最後のブログを書いている。平凡ながら、年月が経つのは早く、そして今日が最後、明日から令和4年だと思えば、どこか感慨深い。書斎にある卓上カレンダーも令和4年1月になっている。今年もいろいろあった、そして窓から穏やかな日差しが差し込み、平穏で静かに最後の日を過ごそうとしている。昨日は、スーパーでの買い物、部屋の片づけ、掃除などをし、気になっている審査系の仕事をして、年末のわさわさした1日を過ごした。新しい手帳の肌触りを楽しみながら、1年を振り返っている。昨日の昼食の時にNHKの番組を見たが、気仙沼の漁師の生き様を、スーパーマーケットにカメラを固定して、映していた。と言っても、過去の放映であったが、いろいろな人生模様があって、夢を持って生きがいに感じている人、海に生きる喜びを持っている人、生活に疲れている人、病気に苦しんでいる人、それぞれである。ずっと海で仕事をしてきた人、海から陸に上がった人、また海に戻る人、それぞれの生き方がある。夕方のニュースでは、帰省した親子連れが、駅の改札口で、幼い孫がじいじとばあばに飛びついて、笑顔満点で出迎える光景を2年ぶりに見た。オミクロン株の不気味な感染に恐れながらも、帰省の光景を見ると、ようやくお正月を迎えることができる喜びが、伝わってくる。一方では、コロナ禍で人生が逆転してしまった人、寂しい年末になった人もいるだろう。先の漁師が、別れた奥さんに未練はないが、もう大きくなっただろう子供に会いたい、とつぶやいていた。ニュースに見る幸せな親子連れも、独り身になった漁師のつぶやきも、同じ人生であり、いつの時代も、親は子供のことを思っている。それでも、ままにならないのが、この世の中である。新聞にこんな句があった。抱きしめてやりたき吾子の墓洗う(岩田秀夫)。今年も、今日で終わる。来年は、どうぞすべての人が幸せでありますように。
