桜と菜の花

 今は水曜日の夕方、いつものように書斎の窓から見る空は、白い雲で覆われ朝から小雨がずっと降っている。水曜日の夕方にブログを書くのは例外だが、これにはもちろん事情がある。その前に自分のうっかりミスをお断りしておかなければならない。前回の3月27日のブログを火曜日と書いてしまった。金曜日の間違いである。どうもいろいろうっかりして思い違いをすることが多い。すべて正確でどこからもクレームが出ないことは、素晴らしい能力を持った人である。しかし平凡な市井の人はどこか間が抜けていて、失敗をする。それもよかろう、そんな気楽な生き方も大切である。

 3月の終わりに年度の最後を惜しむかのように、家内と2人で1泊2日の旅行に出かけた。年をとると旅行会社のツアーに参加するのが気が楽で、今回は瀬戸内海の島々をめぐり道後温泉に一泊した。自分の知識不足だったが、島を巡るといっても船ではなく、本州から四国までは高速道路で容易に行けるので、空港からはバスツアーなのだ。昨日31日の夜遅く帰ってきたので、ブログは今日に延期したのである。学校関係者に限らないが3月末日は年度の締めで、部屋の大掃除をしたり雑誌や本などを捨てて、4月を迎えるための準備をする。今日は4月1日なので、新しい自転車の交通ルールが適用されたり、身の回りにもいろいろな変化が起きてくる。その年度末の一時をゆったりと過ごしたいと思ったのである。

 最初の見どころは、村上水軍の拠点である因島である。「村上海賊の娘」の小説を読んだことがあるので、ぜひ見たかった。資料館やお城も興味深かったが、そこには瀬戸内海の海風と暖かい太陽を浴びて、桜の花と菜の花がいっぱい咲いていた。ピンクと黄色の花が、真っ青な空とお城を背景にして風に揺られているのを見ると、今は春なのだ、何も心配することはないなどと、素直に思える。日本中の子供も大人も年寄りもみんな、春うららに身を委ねて欲しい。どんな時でも、気になったり思い通りにならなかったりすることもあるだろう。そんな小さなさざ波が起きるのが日常生活であるが、そんなことは気にしないで、太陽を浴びて春を謳歌しよう。

 道後温泉には何度も来ているので珍しくはないが、屋上の露天風呂に浸かった時、何とも言えない開放感を感じた。露天風呂から見る空は青く、山は緑で、桜の木が一本だけ見える。ここは道後温泉なのか、歴史のある温泉に、大昔から人々は癒しを求め、明日の活力を得るための自分へのご褒美をこの湯でもらっていたのだろう。自分もこのひとときがなんとも贅沢で、そして天から地上を見るような気持ちさえした。それだけ心が広がって天下人のような気持ちになったのか、いやどうも違う。武将やら政治家などは、重い荷物をいっぱい抱えて、人間世界の中で眉間に皺を寄せて戦っている。今の空間は違う。世間を別の角度から眺めている。今という瞬間は、ふわっとした自分が何者であるかも忘れてしまうような今である。

 その露天風呂に句碑が立っている。「寝ころんで 蝶とまらせる 外湯哉」(一茶)と読まれていたが、なるほど、これは確かに世間とは違う。俳人とはこんな風に対象を捉えるのか、一茶はまるで幼児のように、蝶と心を通わせている。そんな世界観で世間を見ると、別の見方ができる。毎日食事ができる、雨露を防ぐ家がある、暖かく身を包んでくれる布団がある、それだけで充分ではないか、今自分はこんな優雅な贅沢なひとときを過ごしている、それが嬉しいとは思うが、同時にその世界から見れば、日常生活のこまごました生活もまた楽しいひとときに思えてくる。確かに幼児は、すべての出来事をそのまま受け入れ、面白くなければ泣き、楽しければ笑い、嬉しければはしゃぎ、自由奔放に生きている。大人になった時、幼児の頃や子供の頃は楽しかったなあと回想できるのは、その時代は一茶のような世界観をもっているからではないだろうか。大人になると、それどころではないよと言いながら、誰もがあまり楽しそうではない。

 文脈は離れるが新聞に、「桜行く電車菜の花来る電車」(村野則高)の句があった。因島のような光景である。作者は、ピンク色の桜と黄色い菜の花に囲まれた電車の線路の脇で眺めているのだろうか。作者はこの一時に春うららを感じて、困りごとなど頭の片隅にもないだろう。幼児のように、今この瞬間を楽しみ、はしゃいでいる。それが読む人に共感を呼ぶ。全国のあちこちでピンクと黄色の花が咲き誇っている。なんと素晴らしい季節なのだろうか。楽しむときは楽しむがよい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21名誉会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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