今は金曜日の夕方、書斎の窓からいつものように空を眺めている。今日は天気予報が外れて、1日中小雨の降る天気だった。冬に逆戻りしたような気温で肌寒く、雨に濡れると、今日が3連休の初日だということも忘れてしまう。世間では連休という心地よい響きに触れて、これから暖かい春がやってくるという期待感もあって、どこかワクワクするのだろうか。休日と平日の区別がほとんどないフリーランスの身には、別に心は弾まない。天気予報によれば、明日と明後日は好天のようなので、気持ちの上ではどこかに出かけたくもなるだろう。
明日は土曜日で仕事は無いので、スポーツジムに行く予定だが、日曜日は自分にとっては大一番のイベントがある。2つのイベントが重なっているのだが、都内で開催される会場が近いので、ありがたいことに両方参加することができる。そしてこんな自分でも話をさせてもらえることが嬉しい。歳をとってくると、そんな心境になる。働き盛りの人やこれから活躍する人を見れば、自分の身内を見るようで、自分のかつての弟子の姿を見るようで、応援したくなる。そのような人たちに混じって、自分も役割があれば、スポットライトを浴びる華やかな舞台の上で、脇役と言えども壇上に上ることになる。
そんなわけで、今日の午前中はその資料のチェックをしていた。それは小学生の学芸会の予行演習のようなもので、舞台の上でぶざまな格好をしないように、嘲笑されないようにするための準備運動である。これは本来の仕事なのだが、高齢になってもさまざまな生活上の雑事がある。午前中は事情があってクレジットカードの申し込みをした。お昼には家内のスマホの電源コードを買いに、近所の電気屋に行った。身内からLINEでさまざまな写真を送って来た。お昼過ぎにスポーツジムに行き、先ほど帰ってきて、ブログを書く時間になった。1日を振り返ると、このようにほとんどは雑事なのである。その合間に、送られてきた本などを読んだりするのだが、あまり集中はしていない。
なぜ集中できないかというと、雑事をしながらいろんな疑問が湧いてくるからだ。クレジットカードの申し込みの時、カード番号とセキュリティコードが印刷されているのだが、ネット上でこれらの数字を入力して支払いをする時、ふと大丈夫だろうかと思う。通信途上では当然ながら暗号化されているが、カード会社に届いた時、これらの数字は平文になるのか、それは人間が見ないのか、などとつまらぬことが気になって考えてしまう。身内からLINEで写真などを送ってくると、どうしてLINEは友達の自動追加の項目があるのか、そのためにLINEは個人のアドレス帳もアクセスすることができるが、個人情報の違反ではないのか、などとりとめのない問いが生まれてくる。
なんだそんなことも知らないのか、と嘲笑されそうだが、本当にその通りなのだ。カードにしてもLINEにしても、これらは日常生活において活用する。しかし学校で勉強する「情報」の内容は、仕組みであったり理論であったり、科学的な内容がほとんどである。だから日常生活と科学的知見が結びついていないのだ。もちろん調べれば関連付けられるだろう。しかし現実は、日常生活と教科は別々に存在していて、その往還はあまり注目されてこなかった。このことは情報に限らず、教育もまた然りである。今日送られてきた教育雑誌を読むと、実践編と理論編に分けられている。現場で苦労している教師から見れば、学者の話は役に立たず自己満足に過ぎないと感じ、研究室で文献を読んだり現場を訪問したりして、学びの本質はなんだろうかと追究している学者も、また満足してはいないのだ。
文脈は遠く離れるが新聞に、「時間はあるすり鉢もあるゆっくりと香りたちくる手間を楽しむ」(飛田多恵子)の句があった。自分と同じような退職した身なのか、すり鉢で良い香りのする食材を、細かく潰しているのだろうか。その作業をしていると、そのことに楽しさを覚え、時間に追われないでゆったりと仕事ができる今を肯定している。なるほど自分もこんな作者の心境になれたら良いと思うが、今の自分は、楽しむ余裕もなく生活しているような気がする。しかし人の生き方は様々あってよい。自分の場合は、ああでもないこうでもないと右往左往しながら、さまよっている。教育の現場で先生方が子供たちに指導していることは、いかに幸せに生きるかであろう。それは結論の出ない命題であると思えば、自分が右往左往するのも無理はない。往生するまでさまよっているだろう。
