苦手

 今は火曜日の夕方、書斎の南向きの窓から見る空は曇ってはいるが、青空が見える。昨夜から今朝にかけて雪に覆われた。そして午後は青空になり太陽が輝いた。今日も何事もなく1日を終わろうとしている。今朝は猛烈に寒かったが、今はちょうどよい気温である。ふと山本周五郎の「雨あがる」の短編を思い出した。小説も面白いが、映画はさらに心に残った。今の天気のように、特に懸念することもなく、それほど喜ぶこともなく、いわば平穏な気持ちで書斎にいる。

 学校訪問をして地域の教育のお役に立ちたいと思い、約5年が過ぎた。3月はその節目の月であり、4月からまた新しい世界が始まる。今日の授業は小学校の国語であったが、ふと別の学校の国語の授業を思い出した。自分が苦手なことをどうして乗り越えたか、というテーマだったと記憶しているが、子供たちの意見は素直で面白かった。ある子供はプールに顔をつけるのが苦手でなかなかできなかったとか、嫌いなニンジンがなかなか食べられず、今でも苦手だとか、自分は苦手な相手がいて仲良くなれないがどうしたらいいだろう、などの発言であった。教科書の狙いは、どのようにして克服したのかにあったと思うが、ほとんどは苦手のままであった。最後に先生が、本当のことを言うと先生も苦手なことが多くて、と話をした。

 後ろで参観している自分も、思わず自分の苦手を言いたくなった。ただ全員が苦手なことを話し、先生まで告白したような話が出てきた時、クラスの雰囲気がガラリと変わった。みんな苦手があるのだ、何でもできると思っていた先生まで苦手なことがあるのかと気づいた時、どこかみんながつながっているような心の安らぎを感じた。教科書の狙いとは違うが、むしろこの方が自然である。子供たちの話を聞いていると、苦手のままだけれども、なんとか努力している姿が目に浮かんでくる。子供は子供なりの今を生きているのだ。それが全員に伝わった時、小さな勇気が出てくるような気がした。

 実はこのエピソードは、自分が関わっているオンラインのイベントで話した。自分はホスト役であり、毎回ゲストを呼んで話を聞いて、自分と対談する。この時のゲストの専門は障害児教育であり、次回のゲストもインクルーシブ教育だったので、自分の最も苦手とする分野だった。だからそのことをはじめに断った。全く無知で素人なので、つまらぬ質問をしてもお許しいただきたいと言ったのだが、この時の話の中心は、普通とは何かであった。健常児と障害児に区別はなく両方が混じっていることが、普通であると、この時のゲストは話した。次回のゲストも全く同じ考えであり、インクルーシブとは、まさにどんな人も包み込むことであった。自分がこの分野は素人だからと、そこに垣根を作ること自体が、意味のないことだと気がついた。

 だから専門家も素人も、そこに垣根を作る必要はないのだ。人それぞれ得意な分野もあれば苦手なこともある。今日の午後は、かかりつけの主治医に行って、1ヶ月分の薬をもらってきた。そのとき先般の大学病院での話をした。なぜか今日は自分が素直になったのか、手術が必要なら任せてみようという気持ちになった。誰でもみんな苦手を持っている、そこに垣根を作らなくてよいと思ったら、医者が専門で患者が素人、医者が権威者で自分は庶民である、などの境界を作ること自身に意味はないのだ。子供も大人もそれぞれの道を生きている。

 文脈は離れるが新聞に、父おどけそれ見て笑う母居(お)れば続く介護も何のこれしき(河合潤子)の句があった。介護する方もされる方も、並々ならぬ苦労があるだろう。作者の両親もそれぞれが愚痴を言うことなく、今の状況の中で精一杯生きることで、お互いに励まし合っている。それが生きる勇気につながっているのかもしれない。その姿を見た作者は、自分の苦労など何のこれしきと、笑顔の両親をありがたく思っただろう。誰でも苦手を持っている。それを認めながら、それぞれの道を前に進もうとしている。このご両親も含め頑張っている人は、どこか尊く感じられる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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