頑張る

 今は金曜日の夕方、先ほどジョギングから帰ってきて2階の書斎に上がって、いつものように南向きの窓から、マンション群と曇り空を見ている。ブログは週2回、火曜日と土曜日または金曜日なのだが、時間が取れる時に書いている。40分程度の小さなジョギングで西の方向に走ってきた。1日に少しでも良いので体を動かさないと、どこか体調が悪くなるような気がする。帰ってきて、今日はデコポンでビタミンCを摂取したが、これが絶品の味で、体の中に染みわたって美味しいと言いながら食べた。スーパーで買ってきた家内も、まんざらでもないような顔つきをしていた。

 ジョギングに出かける前は、オンラインの研究会があって参加したのだが、どうもパソコンが不調で、時間に遅れた。というのは自分の照れ隠しで、本当はオンラインにどういうわけか、はじかれてしまった。1ヶ月前の前回も似たような症状があったのだが、気に留めないでいたが、今日は完全にそっぽを向かれてしまった。前回はいろいろ試すとすぐに入れたのだが、今日は無理だった。Teamsなのだが、人とデジタル機器にはどこか相性があるのか、うまくいかないことがある。

 しかし本当は相性なんかではなく、知識が足らないからなのだ。自分は仕事上で2週間に1回、オンラインで対談をしている。大勢の参加者がいるので、オンラインが故障すると大変な迷惑がかかるので、細心の注意をしている。ネットワークやパソコンも予備を備えているのだが、今日の研究会は仕事ではないので、気楽に構えている。それがつまづく原因だろう。どうしてもうまくいかなかったので、ブラウザではなくアプリに切り替えようとしてインストールしたので、時間がかかったのだ。機械の故障には、必ず原因がある。それが見抜けなかった自分が恥ずかしい。

 こんな些細なことなのだが、自分の知識のなさに愕然とした。考えてみると人の知識などたかが知れている。ネットワークの仕組みが分かっていたとしても、目の前の故障に時間がかかるようでは、本当は分かっていないのだ。今日の発表者は大学院生の頃から指導してきたが、自分が知っているはその当時の学生であり、彼は今日までに進化してきたのだ。話の合間に、参加者に気を遣っていることが読み取れる。社会に出れば、色々な人に出会い、自分の知識の乏しさに気づき、自分の未熟さを知っていき、この世の中を生きていくのだ。自分のような年齢になっても変わることはない。

 文脈は離れるが新聞に「博多発、就職列車の終点は赤いレンガの東京駅だった」(山下洋次)の句があった。この作者は、東京駅に降り立った時から何十年経ったのだろうか。時には天下を取ったような高揚した気分にあることもあっただろうが、日々の生活では、まだまだ自分は足らぬとか、こんなこともできない自分なのかと、落ち込むこともあっただろう。しかしそうして自分を磨いてきたのだ。世の中にはとんでもない秀才もいるが、そのような人も自分はダメだと何度も何度も自分を責めて頑張ってきたのだと思う。専門の分野を深めれば深めるほど、人間の知識などちっぽけなもので、何もわかってはいないことに気が付く。だから、もう少し頑張ってみようと思って、上を向いて歩くのだ。古い言葉だが、頑張る人の姿は美しい。

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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