今は火曜日の昼間、この変則的な時間にブログを書くのは、当然ながら理由がある。今日の夕方にオンラインの会議が入っており、書く時間がないのでお昼の時間に当てた。考えてみれば、自分の年齢で手帳に用事が入っていることはありがたいことで、それは生きている証拠とでも言える。もちろんそれらの用事も少しずつ少なくなってくるが、2月と3月は年度末のせいか、いろいろなイベントが入っている。
昨日は品川で教育関連のイベントがあり、自分も参加して審査した。午前中にポスターセッションに参加して、発表を聞く。参加者からの投票と審査員の審査結果を合わせて、代表の発表を選ぶ。代表作品の3件を選び、その中の1件をグランプリとする。誰が考えてもそれは楽しい作業である。自分が専門とする領域であれば、発表を聞きながら、あーでもない、こーでもない、ここはどうなんだろう、などと自問自答するので、あっという間に時間が経ってしまう。
審査員で議論しながら選出するので、いろいろな見方や考え方をそこでも知ることができる。この議論では、ここが悪い、あそこが悪いでなく、ここが面白い、ここが優れている、という良い面だけを見る。良い面を見ていれば、脳内では快適さを促すホルモンが分泌されるだろう。そして自分は、グランプリ作品の理由を来場者の前で説明した。それは自分の幸せな気分を放出して、会場の皆さんと共有することになる。ふと思う。自分はなんと贅沢な仕事をしているのだろう。
新聞によれば、ロシアとウクライナの戦争は、丸四年を過ぎて五年目に入るという。極寒のこの季節に、暖房施設が破壊されて寒さで凍えているという。考えてみれば、これは領土の奪い合いである。ある本を読んでいたら、物を競って奪い合えば足らなくなる、分配すれば物は余る、その通りである。これを情報に当てはめれば、優れた内容を発表すれば、聞いている人の分だけ増える。物には限りがあるが、情報や知識には、受け取る人の分だけ、共有した分だけ、無限に増えるのだ。素晴らしいではないか。
文脈は遠く離れるが新聞に、「帰りぎわ「きっとまたきてね」と妻は言う戻りかけたが病室を出る」(菊辻八郎)の句があった。選者の評をそのまま引く「だが翌朝、奥様は逝去なさったという。「戻りかけたが」が哀切である。」この句を読むと、作者の気持ちが深く伝わってきて、我が身を振り返る。この世の中には色々な分配がある。戦争のように、物欲にとらわれて多くの人に憎しみと苦しみを広げていく分配もあれば、研究会や審査会のように、優れた知識や知恵を全員で共有する幸せの分配もあれば、短歌や文学などのように、人々の感性を揺さぶり自分の生き方を振り返らせる分配もある。自分も往生するまで、幸せの分配者でありたい。
