振り返り

 今は土曜日の朝である。しかも鳴子温泉の部屋である。昨日の夕方にブログを書きたかったのだが、旅行にきて、昨日は蔵王の頂上までケーブルカーで行った。旅行会社のツアーはありがたく、バスに乗っていれば観光案内をしてくれ、優雅な一日が過ごせる。今日はここ山形の銀山温泉街の散策などの観光をして、帰宅する。観光旅行に来たのは久しぶりで、多分8ヶ月ぶりになるだろう。

 8月に家内が腰の手術をして、その後リハビリを長い間行ってきたが、日常生活などは通常と変わらず、これなら旅行に行けるかと相談して、やってきた。それでもケーブルカーとは言え、蔵王の頂上は吹雪で、あの樹氷を見たいと思って来たのだが、白銀と雪吹雪の世界で、うっすらと樹氷の姿が影絵のように見える程度だった。それでも自分は満足した。すごい世界を見たのだ。昨夜鳴子温泉の湯に浸かろうと思ったのだが、ホテルに着く時間が遅く、夕食が先だった。ビールとワインですっかり良い気持ちになって部屋に入ったら、そのままぐっすり寝て今朝5時に目が覚めた。

 先ほど朝風呂に気持ちよく浸かって、ようやくブログを書ける時間になった。観光バスの中の時間はかなり長いので、読みたい本を持ってきている。昨日読んだ本の中に、泥水や濁水をコップの中に入れてしばらくすると、砂や泥は下に沈んで上部は綺麗な水になる、だから人はぼんやりする時間が必要だ、と書いてあった。そうか、バスの中はそのぼんやりする時間なのかと思うと、いろいろなことに気が付いた。樹氷を見たいと思ったのは、家内よりも自分のわがままな考えではなかったのかと思ったら、それは振り返りではないかと気がついた。

 どの学校でも、振り返りが毎授業ごとに実施されている。初めはその意味がよくわからなかった。しかし昨日のバスの中で読んだ本では、泥水や濁水がそのままの状態では濁っていて何も見えないが、しばらくしていると、上部は清水になって透き通って見える。つまり振り返りは、それまで見えないものが見えるようになることではないのか、そうだとすれば、それは見ることの本質を教えてくれている。

 文脈は離れるが新聞に、「寒木の倒れぬように歪(ゆが)みけり」(たろりずむ)の句があった。冬枯れの木がいかにも弱々しく、小枝などすべてが歪んでいるのだが、それは自分自身を支えるための木の知恵なのだと言われると、この作者の見方は優れている。詩や短歌や俳句には、その作者の研ぎ澄まされた感性があって、凡人とは違う見方をしていると思う。このように考えると、どこかで静かにぼーっとしていることも、大切なような気がしてきた。子供たちは、毎日いや毎授業ごとに、自分を振り返って、本質を見通す感性を育てているのかもしれない。そうだとすれば、それは凄いことである。

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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