生成AI考

 今は金曜日の夕方、書斎の窓から見る空は薄い青色で、冬らしい空である。先ほど小さな買い物があって、自宅から歩いて1分ほどのスーパーに行って帰ってきたばかりである。途中に小川があるが、その橋から空を見ると、西の方角がオレンジ色に輝いて、冬の優しい光を投げかけている。その夕日を浴びていると、何事もなく過ぎ去った今日1日が愛しく思える。帰ってすぐに2階に上がった。書斎は自分の城である。

 昨日の夜、俳句の番組を久しぶりに見た。昨日は俳句のトーナメントのイベントがあって、それぞれの素晴らしい句の解説を聞きながら楽しんだ。文才のない自分には、俳句の良し悪しはよくわからない。しかし解説を聞くと、さすが専門家は読み方が違うと思いながら、納得した。この俳句の前に、粘土で作るアート作品のイベントがあった。そこでタレントの作った作品を見て、審査員はすぐに、これは面白くないとか、これは素晴らしいなどと判定する。しかし視聴している自分には、どうしてそう判定できるのか分からなかった。さすがはプロだとは思ったが、理由を聞いても理解できないのだ。

 何故だろうかと気になって、脳のどこかに居座ったような気がした。そういえばテレビの料理番組を見ると、タレントがこれは美味しいとか、うまいとか言うのだが、それ以上の言葉は出てこない。なるほど、俳句は言葉で表現するから解説を聞いてもわかるが、料理の味とかアート作品などは、言葉ではなく、舌で味わうとか、目で鑑賞するとかなど、言葉ではないことに気がついた。すると言葉で説明できる対象と、言葉では説明できない対象があることになる。しかし同じ美味しいでも、どんな美味しさかは、比喩などを使えば説明できるかもしれないが、実際に食べてみないと本当はわからないと思った。アート作品も、このデザインが良いのだと言われても、その言葉自身の理由が理解できないので、結局わからないのだ。

 話は変わるが、一昨日出版社の人が校正用の原稿を持って、我が家に来た。自分は執筆兼監修だったので、自分の執筆原稿はチェックしたが、他はざっと目を通した。その仕事の後で、編集者と雑談になった。テーマは「生成AIと教育」だったが、その時人間は、生成AIを超えられるかが議論になった。自分は、それは言葉にあると言ったことを覚えている。生成AIは大規模言語モデルを基盤としているので、言葉がベースである。学問もすべての対象は、言葉で表現できると仮定している。赤いという言葉は、赤以外ではないことを規定するので、境界を作ることである。全ての言葉は、このように世界を区分けしている。したがって言葉で表現できる対象は、生成AIは見事に答えることができるが、言葉で表現できない対象は、生成AIには難しいのではないか。

 この意味では、俳句の良し悪しや添削は、生成AIは見事にやってのけるだろう。しかしアート作品の良し悪しは、どうだろうか。プロの作った作品と素人の作った作品を学習させれば、作品の良し悪しの判別はできるかもしれない。しかしそれを解説しろと言われたら、難しいのではないか。専門家であっても言語化することが難しいからである。美味しい料理について解説しろと言われても、食材についての分析はできても、何故美味しいのか、料理によって美味しさの違いを、言葉で説明することは難しいのではないか。

 文脈は離れるが新聞に、「ドラマの部屋常に片付く冬薔薇」(宮川ゆず)の句があった。確かにドラマに出てくる部屋は、綺麗に片付いている。床の間があったりタンスがあったりするが、ゴミ箱とかダンボールを重ねたような雑なものは見かけない。しかし現実は、ゴミ箱とか小さな荷物が置いてある。ドラマのディレクターは、部屋と言えば、床の間やタンスなどの典型性がインプットされていて、それ以外は排除している。つまりディレクターの部屋という言葉は、それ以外の言葉を排除するので、ゴミ箱や雑なものは含まれないのだろう。しかし現実の部屋は、違う。つまり言葉で定義され関係づけられる対象と、言葉では表現できない対象が混在しているのが、現実世界である。そう考えれば、生成AIが処理できる言葉の世界と、言葉では表現できない世界は、人間が処理することが求められるのではないか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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