共通テスト

 今は金曜日の夕方、いつものように2階の書斎の窓から空を見ている。今日も良い天気だったせいか、その名残のような夕暮れで薄い青空が広がっている。マンションの規則正しい明かりが灯っている。今日もほぼ一日の終わりに近づいてきた。昨日に比べたら今日は少し暖かった。この時刻になると、今日一日何をしたのかと振り返る。

 実は大学入学共通テストの問題を読んでいた。昔高校の物理の教師をしていた関係で、物理の問題は多少気になり、大学に来てから情報関係の仕事をしてきたので、情報の問題も気になっていた。新聞に掲載された問題は、そのまま切り取って机の横に置いてある。今日の午前中は時間があったので読もうと思ったが、とても読めない。字が小さすぎるのである。虫眼鏡で読んでいたのだが、とても解く気持ちにならない。

 当たり前だが、ネットで調べれば問題と解答ぐらいは、手に入るだろうと思ってアクセスしたら、YouTubeで解説動画があった。現役の予備校の先生であったり、高校の先生だったり、いろいろな先生が説明されていた。自分はどんな問題なのかという軽い気持ちだったのだが、ずっと引き込まれた。さすがに現役の先生である。見事な解説と流れるような話術だった。自分は初めて、共通テストの解説動画を視聴した。こんなにも素晴らしいとは思ってもみなかった。

 そしてふと思う。自分が今、紙のテストを見て解こうと思っても、恥ずかしながら解けない。こう書くと少しプライドが傷つくので、満点は無理である。高校生はよくこのような難しい問題にチャレンジすると感心した。解説者も感想を述べていたが、今年の物理と情報は、昨年に比べてかなり難易度が高くなっているという。午後は小さな用事以外は、ずっとこの共通テスト問題に釘付けになった。若い頃は自分も簡単に解いていたのだろうかと思ったが、そこで気がついた。大学入試問題はパターンがあって、そのパターンに慣れれば、そんなに難しくはないと昔は思っていた。今も思う。

 ただ、YouTubeで講義を聴くことは、きらびやかなテレビ番組より、もはるかに魅力がある。だから教師という仕事は、エンターテイナーである。今日は自分は生徒になった。こんな面白い講義を聴けるなら、もう一度大学生になりたいとも思った。それでも現実の学校では、面白さを感じない子供や生徒が多い。自分は学校を卒業して長い期間が経ったので、面白さを感じるのだろうか。その世界にずっと浸っている間は、面白くないのかもしれない。もし自分が新聞紙を拡大コピーして、問題を解いたとしても、どこかでつまずけば諦めるかもしれない。それを釘付けにしたのは、当然ながらYouTubeの中の教師であり解説者である。つまり紙と動画では、引き付ける力に雲泥の差がある。そして解説を聞きながら、この問題の作成者の考えや意図が少しずつ分かってきた。さらに受験生の表情すらおぼろげながら浮かんできた。つまりYouTubeという道具は、問題を媒介にして、作成者や解説者や受験生などのすべてを、聴衆である自分に送ってきた。

 解説者は、どこか半分嬉しそうな表情で語った。この問題のこの問いの場面で、問題作成者の得意顔が見えるような気がした。受験生は苦しみながらも、挑戦することの喜びを感じるような気がした。自分はまるで観客席から舞台を観るような気持ちで、引きずられたのである。デジタル機器の道具は、多様な情報を利用者に持ち込んでくる。その情報は、まるで生きているかのように、新しい気づきや想像力をかき立てる。小中学校の授業を参観しても、新しい情報に触れると、子供たちは目を輝かせ夢中になってその世界に入っていく。文脈は離れるが新聞に、子どもには壊す喜び霜柱(鈴木基之)の句があった。霜柱を踏めば、あのさくさくという音がなんとも楽しいのだ。子供は新しい未知の世界であれば、躊躇はしない。老年になっても同じではないだろうか。昔を思い出し、今はどうなっているのだろうかという思いが、心弾む動画視聴になったのだろう。それは新しい世界に足を踏み入れる感覚と同じである。ワクワクとし、なるほどと納得し、問題を解く楽しさの世界である。

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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