気掛かりなこと

 今は火曜日の昼間、この変則的な時刻に書くのは事情がある。市内の学校で研修会があって、もう少し経ったら出かけるのだが、夕方まで帰って来られない。今書けるところまで書いて、研修会が終わって自宅に帰ってからまとめたい。とはいうものの、皆様に公開するほどの内容はないが、この世の中はいろいろなことが起きてくる。楽しいこともあれば面白くないこともある。午前中に学校訪問があって、コメントの原稿を書き終わってやれやれと思っていたら、別のやっかいな書類が届いた。それはなんだと聞かれても、プライベートなことなので答えない。生きていればいろんなことがあるのだ。

 ほんの小さなことでも、喉仏に何か刺さったような感じがして気になる。誰でも同じだと思うが、気にしなくてもいいのにと思いつつ、どこか気がかりになる。しかし時間が経つと多少その振幅が小さくなって、まあなんとかなるかなどと、自分で自分を元気づけたりする。それでも努力している間は、小さな船でも前に進むようだ。気がかりなことは、自分は手帳に対応する時間を書き入れている。手帳に書かなければ、そこから逃げることになるからだ。手帳に書いてあれば、体が自動的に動くようで、少しずつ前に進む。

 そんな小さな仕事というか対応がいくつか書き入れてある。ふと昨日の夜、録画しておいたビデオを思い出した。昭和百年のリーダーの特集で、興味深く視聴した。確かに日本を牽引するようなリーダーは、並外れた人間力を持っているらしい。特に田中角栄のビデオは圧巻で、良きにつけ悪しきにつけ、日本人の心に長く残る人物だろう。それでも晩年は寂しかったかもしれない。だからすべてが順調で思い通りになる人などいないのだ、とすれば、凡人たる自分は、山あり谷ありの小さな波を潜り抜けながら進んでいくしかないだろう。

 それでも若い人から元気をもらうことがある。日曜日に駅構内のショッピングセンターで音楽会が催されて、老夫婦ふたりで出かけた。市民オーケストラの演奏もあったが、老夫婦は中学校の吹奏楽の演奏に惹かれた。若いということはなんと素晴らしいのだ。歳を取るといろんな老廃物が身にまとってくるが、少年少女たちは真っ白なのだ。未来に向かってまっすぐに進む年齢なのだ。彼らが奏でる音楽は、荒削りでも勢いがあり、どんなことでも乗り越えられそうな気がする。思わず自分は大きな拍手を何度も送った。身も心も洗われたような気がして、日曜の夜は久しぶりに自分も少年に戻ったようだった。

 そして月曜火曜と日常生活を送るにつれて、いろいろな波がやってくる。それでも浮世のことは、対応していけばなんとかなる。自分は手帳に書き込んだだけで、半分ぐらい気が楽になる。先ほどの件は、3回ぐらい時間を取ればなんとかなりそうな気がした。それで前向きになれる。考えてみれば、心配事でも不安なことでも、ほとんどは気持ちの中だけであって、実際に向き合ってみれば、たわいもないことが多いのだ。日本のリーダーたちが向かっている課題は、凡人にはため息が出るような巨大な壁であっても、気持ちを変えながら取り組んでいるのではないか。事の大小は問わず、誰でも同じように対応しているかもしれない。

 若い中学生に元気をもらうように、日本のリーダーの映像を見て背中を押されるように、凡人も少しずつ前に進んでいくのだろうか。新聞に、「それでいいよと言ってほしくて聞きたくて耳をすませる仏壇の前」(横井節子)の句があった。作者の気持ちがよく分かる。自分の両親に、同じような願い事をしたり愚痴を言ったりすることがある。なぜか自分もそうすることで気が楽になる。多分誰でも、誰かにすがったり、賛同してもらいたかったり、大丈夫だよと言ってもらいたいのだろう。そう考えれば、若い中学生も日本のリーダーたちも同じだろう。なんとか間に合いそうなので、これから研修会に出かける前に、このブログを書き終える。これで心置きなく出かけられる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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