今は12月30日の夕方で、静かに暮れようとしている。月並みだが月日の経つのはあっという間で、明日はもう大晦日である。歳をとってくると日々の生活に大きな変化はなく、今日も平日と変わらない過ごし方をしている。午前中は書斎で仕事をし、午後は少しだけの掃除と買物とスポーツをして、夕方を迎えている。
近所のスーパーに少しばかりの買い物をして帰る時、小川の向こうにはっと息をのむような美しい夕焼け空が見えた。小川には鴨がいて、川向こうのオレンジ色の空と、寒々とした黒っぽい水の流れが、今年の終わりを告げているような気がして、ふと足を止めて見ていた。今年もいろいろあったが、まあよいではないかと思う。自分の感じ方も、この頃は賑やかで晴れやかさよりも、静かさや何気ない物憂さの方に惹かれることが多い。テレビ番組も、年末になると長時間番組で派手な演出が多いが、自分はどうも苦手である。NHKの小さな旅などの平凡でどこにでもありそうな風景と、肩を寄せ合って助け合っていく人たちの姿が、この上なく尊く見える。
午前中は、ある学会の依頼で資料を集めて原稿を書く準備をしていた。原稿というより、学会なので論文である。論文となると心構えが違っていて、形式もほとんど決まっているので、自由奔放というわけにはいかない。特に参考文献が重要で、その文献を読むことに膨大な時間がかかってしまう。何日かの時間をかけてようやく構成を作り、参考文献も織り交ぜて、いよいよ今日から原稿執筆にとりかかることになった。自分の感覚では、準備の方が大変で、参考文献と図表など必要な資料が揃えば、それ以降はそんなに難しくはない。それは材料を集め手筈も整えて、あとは手順通りに煮炊きをする料理に似ている。できあがりが美味しいかどうかは分からないが、それは反面楽しい作業かもしれない。
論文の構成はほぼ決まっているのだが、今日はなぜか原稿の流れが違った。材料の準備ができれば、後は型にはめるだけと思っていたが、はじめの書き出しから文章が流れて型にはまらないのだ。論文の形はわかっている。しかし水が形に沿わないで思わぬ方向に流れていくような感じだった。もちろん完成しているわけではないが、なぜだろうと自分を振り返った。原稿を書く前は、PDCAサイクルのように、計画を立て、その通り実行し、計画に外れてないかチェックして修正する予定であったが、それが崩れた。学会依頼の論文ならば、裃(かみしも)を身につけなければならない。それがまるで庶民の普段着のような着物だとしたら、笑われるかもしれない。
歳と共に、自分の感じ方が変わってきたとしか言いようがない。演出を凝らしたテレビ番組よりも、庶民の日々の生活を映し出す映像の方に惹かれることに似ている。準備はする、それなりの参考文献もオリジナルな考えも含まれているのだが、きちっとした論文構成にすることに、小さな違和感を感じるのだ。観光地に行って目を見張るような晴れやかさよりも、小川の向こうに見える茜色の空の方に美しさを感じることに似ている。ふと思う。PDCAは計画を立てる時に有効だとは思うが、実施する段階ではそれほど意味はないのではないだろうか。我々の生活はほとんどが計画通りにいかないからである。振り返ってみたら、今年1年の出来事も計画書にはなかった。
今日と昨日の新聞には歌壇・俳壇欄がなかったので、2週間前の新聞から一句を引く。水道にぼろ着せるなり冬支度(小川月子)。水道水が凍らないように、寒さが厳しい地域では、このような準備をするのだろう。そこに暮らす人々の優しさと庶民の知恵がある。全国のいろんな地域で、新年を迎える準備が進んでいるだろう。脈絡はないが、自分は日本人に生まれて良かったと思った。
