決断

 今は月曜日の夕方、書斎の窓から見る空は真っ暗で、マンションの灯りだけが規則正しく輝いている。月曜日にブログを書くのはもちろん事情がある。明日は都内で理事会があり夕食も出るので帰宅は夜となり、ブログは書けないからである。別に曜日を決めているわけではないが、週に2回、前半と後半に分けて日々の出来事を綴っている。2回書くとすると、その間は2日か3日しかないので、その短い期間での出来事を書くことになる。そんな些細なことであっても塵も積もれば山となるの諺どおり、このブログも1000篇近くになる。

 筆が動く限り、いやパソコンに指が触れることができる限り、自分の身の回りに起きたことを書き残すだろう。できれば往生するまで公開日誌を書きたいが、多分そうはいくまい。自分の尊敬する先生は、文字通り臨終までベッドの上で原稿を書いておられたと聞いている。実際はどうであったかは分からないが、先生の生き様からすればそのほうが自然である。それは自分の考えていることを文字で表現することが、先生の存在証明のようなものだからである。先生が先生であるということは、今最も関心のあることを自分の言葉で表出して、他に伝え、他がそれを受けて納得したり感銘を受けたりすることで、先生そのものが他の中に生きるからである。

 その先生は、ずっと走り続けずっと求め続けずっと表現し続けた人であった。自分などは遠く及ばないが、その姿を真似たいと思う。求め続けるにはどうすればよいのだろうか。昨日の夜出張から帰宅した。出張先で素晴らしい講演を聞いた。自分とは少し研究方法も違うが、その徹底した追求の仕方はまさに研究者の姿であった。自分には到底真似できない先生であるが、その姿が聞く人の胸の中に入り込んで、灯りをともすような印象を受けた。こんなにも先端を追求していたのかと思うと、自分などはまだまだで、とても人前で話すような器ではない。ただ自分もせめて勉強し続けたい。それしか方法がない。それが自分であることの存在証明だろう。

 しかし人は年老いていき、病気になって思い通りにならない事態も生じてくる。自分の尊敬する先生も例外ではなかった。それでも不自由を不自由ともせず、最後まで原稿を書き続けられた。どのようにしてその厳しい状況を乗り越えられたのか、自分にはわからない。新聞に、木枯らしが窓打つ音を聞きながら書かねばならぬ手術同意書(夕月秋人)の句があった。作者も不安で、同意書を前に心が揺れ動いたのだろう。この句を読む時、作者の決断が自分に伝わってくる。どんなことが起きようとも手術を受けるのだと、作者自身に言い聞かせたに違いない。尊敬する先生はどうだったのだろうか。たぶん同じように決断したのだろう。これを乗り越えなければ研究ができない、研究ができなければ、自分は自分でなくなる、それは耐えられない、それに比べれば手術することなど小さな波にすぎないのだと思われたのではないか。自分もこれから先どうなるか分からない、病気だけではない、いろいろな耐えられないような出来事もあるかもしれない、しかし自分が自分であることを続けようとするなら、障害は乗り越えられるような気がする。それは決断一つにかかっているのだ。

 

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す