今は金曜日の夕方、いつものように書斎のパソコンの画面に向かっている。ただいつもと違うのは、土曜日でないことである。当然ながら事情があって、土日が出張である。明日の夕方は懇親会があって、とてもホテルでブログを書く余裕と時間がない。日曜日の午前中に自分も講演するが、この出張は自分にとっても大変重要なので、講演内容については以前から準備していた。明日土曜日の早朝に家を出て羽田に向かう。
今日のブログは、1週間を振り返って出来事を思い出してみる。今年の学校訪問が今週で終わった。内心ホッとした。もう5年間も続いているが、市内小中学校の6校を毎月訪問して、授業を参観しコメントを送っている。これも自分にとっては大切な仕事であり、地域への貢献活動と思っている。コメントを書く時、内心ビクビクすることが多い。小中学校の教員経験がないので、こんなことを書くと笑われるのではないかとか、まるで答えが分からなくて先生に当てられたらどうしようかと、不安に思っている落ちこぼれの心境に似ている。だからたまに、先生のコメントを職員が楽しみにしていますと、教頭先生から言われると、劣等生が先生に褒められたような気持ちになって、飛び上がるほど嬉しい。
今週はオンラインだが研究会があって、自分がコメントした。この時は多分このようなストーリーだろうと、研究発表者の内容を事前に推測できた。だから緊張することもなく、パソコンの画面を見ながら、まるで大学院生を指導するような気持ちだった。しかし最後にコメントをする時、自分は本当は研究発表者の本質をつかみきれていなかったのではないかと、ふと思った。だから最後になって必死に考えた。ようやく別の視点が見えてきて、そのことを伝えた。そして自分の至らなさに気がついた。研究指導はもう何十年もやってきて、およそのことは見通すことができると自負していたのかもしれない。最後になって必死になった時、初めて気がついた、というより、天から教えてもらったような気がする。
今週を振り返ってみると、自信がある方が、薄い氷の上を歩いているようで落とし穴があって危ない気がする。自信があると、氷が薄いのか厚いのかも見えなくなるのではないか。これに反して自信がない方は、ビクビクしながらでも、相手をよく見ようとか、状況をよく確かめようとするので、むしろ本質を読み取れるのではないか。逆説のようだが、確かにそんな気がする。しかしこんなことは昔から諺でよく言われている。油断大敵とか、勝って兜をとか、実るほど頭の下がるとか、能ある鷹は、など誰でも知っているのだが、現実に遭遇すると難しい。それは頭の中だけで知っていることだからである。歳を取ってくると、いろんなことを経験して、その経験値の中から、なるほどその通りだと納得することが多い。
文脈は離れるが新聞に、ふるさとに来るのも今日が最後だと幼なじみに告げずに帰る(金内二郎)の句があった。作者に何があったのだろうか、最後のお別れにふるさとにやってきて幼馴染と話をしたが、これが最後だとは言えなかった。多分そのことを言うのも切なくて、口に出せなかったのだろう。仕事のことでうまくいかなかったのか、家庭のことなのか、あるいは病気のことなのか、詮索するのはもうやめよう、誰でも人に言えないことがある。多分幼なじみも、作者の気持ちを察していたのかもしれない。だからあえて口にしなかったのだろうか。しかし自信のない時こそ、落ち込んでいる時こそ、本質に気づくことが多いのだ。そうだ、こうすればいいのではないか、という天啓のような気づきが生まれる。自信がある時にはそんな気づきはあまりなく、経験値の延長のような考え方しかできない。だとすればチャンスはまだある。心配はいらない。
