ゴミ箱

 今は火曜日の夕方、いつもの通り2階の書斎で机に向かっている。あまり理由はなくても時間があっという間に過ぎていき、忙しい一日だった。ついさっきまで論文のチェックをしていた。論文査読とほぼ同じだが、きちんとした論文を読むと背中がまっすぐになるような気がして、お前もちゃんと勉強しろ、という天の声が聞こえてくる。とは言っても、怠けているわけではなく自分なりの仕事をしている。

 我が家の庭に少し大きめのゴミ箱がある。ゴミの種類によって回収曜日が決まっているので、ゴミがたまる場合が多い。燃えるゴミ・プラスチック・段ボールなどは、かさばって片付かないから、庭にゴミ箱を設置している。家内が手術をして退院しても足腰は無理できないので、2階の洗濯物の物干しを庭に移した。その関係でゴミ箱の利用の仕方が少し変わった。細かくは述べられないが、ゴミ箱の上の蓋を開けて、ゴミを一時的に貯めておくのだが、その蓋がたまに落ちてくることがある。片手で蓋を持ち片手でゴミ袋を入れるのは、老人にとっては厄介なので、昨日家内が蓋に頭をぶつけた。

 今日午前中は学校訪問で時間がなかったが、午後時間ができたので、蓋を開けたまま棒で支える仕組みを考えて取り付けた。細かいことは書かないが、70cmの棒をゴミ箱の台に磁石で取り付けて、蓋を開けた時には外して支えるのである。こんな小中学校の工作のようなことでも、あれやこれやと考えて、必要な機材はホームセンターまで行って買ってきた。そしてうまくできた時には嬉しくて、家内に自慢した。

 日常生活を送るには、こまごまとした仕事が要求される。歳を取ってくるとこれがなかなか厄介になってくる。昨日は防犯カメラにmicroSDを取り付けた。これもスマホにインストールしたアプリで、操作しなければならない。世間では老人はそのような仕事を止めて身内などにやってもらうようだ。ただ自分はなるべくできることはやってみようと思っている。それは面倒なことはなるべく早く片付けて楽になりたいのではなく、できた瞬間が面白いのである。今日もゴミ箱の支え棒を作ったので、早く使ってみたいと思い、防犯カメラも映像がスマホに送られてくると、ニコニコしている。この前のブログでも書いたが、気楽になりたいのではなく、むしろそれが楽しいのである。

 歳を取れば、若い頃のようにはいかないことは当然である。それを嘆くのではなく、年相応に工夫したり取り組んだりすれば、楽しいことはいっぱいある。文脈は離れるが新聞に、秋晴れの丘ベッドより見上ぐれば青春映画の自転車隊ゆく(若元秀人)の句があった。病院のベッドなのか自宅のベッドなのかわからないが、窓から見える丘をまるで映画のように、自転車に乗った若者たちが進んでいく。多分笑い声を上げながら走り去っていったのだろう。それを見上げている作者はどんな気持ちなのだろうか。誰でも歳を取っていくのだ。自転車に乗りたくても乗れないだろう。しかし自分も歳を取って分かることは羨ましいとは思わない。小学校から大学まで青春の中にも悩みはあろう。老人と同じなのだ。いろいろあっても、自分が今できることをこなしていくことで楽しい時間を過ごせる。昨日も今日も自分は空に向かって口笛を吹きたくなった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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