今は土曜日の夕方、いつもの通り2階の書斎でパソコンの画面に向かっている。冬至が近いせいか、日の暮れるのが早く外は真っ暗である。土日の過ごし方は、いつものようにスポーツジムに行っている。気温もぐっと低く、ジムに行く時ジャンパーの下に薄いベストを着た。100円ショップで買った手袋もして出かけた。自分はこの安い手袋が気に入っている。頬に当たる風の冷たさと手の温かさのコントラストが、12月の実感と我が身を守る防寒具のありがたさを感じるからである。
今日の午前中は、お墓参りに老夫婦で行った。藤枝市から所沢市に墓地を移して、何年経ったのだろうか。市内に墓地があれば毎月お参りできる。きれいに晴れ上がった青空の下、緑と黄色と赤の混じった木々に囲まれ、お墓の周りは管理会社が手入れをして、みずみずしい花で囲まれている。家内は菊の花をお供えしたのだろうか。自分はお線香に火をつけてお墓に供えた。今日は土曜日のせいか、法事があったりお墓参りに来たり、それなりの人が来ている。墓地はまるで公園のようで、花と芝生に飾られて静謐な空間になっている。
毎月来ているので、墓地に眠っている両親に言うことはほぼ同じで、近況報告である。本来は仏になった両親には、自分たちも健康で頑張っているから心配しないでいいよと、安心させるのが子の務めなのだろうが、我々老夫婦は少し世間と違っている。安心させるよりお願い事をしている。誠に親不孝なのだが、両親に墓の前で言うと、分かった分かったいいよと、笑顔で答えてくれそうな気がするからだ。墓の前では両親の優しくて機嫌の良い笑顔しか思い浮かばない。だから甘えているのかもしれない。
お願い事はたいてい決まっている。老夫婦と息子夫婦と娘夫婦は、病気のこと仕事のこと職場の人間関係のことなどで、孫たちは勉強のこと進学のこと友達関係のことなど、どこの家庭でも同じようなものだろう。自分は手術や入院はしたことはないが、血圧検査ではそれなりの異常値が出ている。高血圧・尿酸値・脂肪肝などの懸念があって毎朝薬を飲んでいる。家内は腰や足が痛くなっている。日常生活に支障はないので老化現象なのだからそれほど深刻ではない。働き盛りの息子夫婦と娘夫婦は、いろいろなことで頭を悩ませる。よくお父さんは気楽でいいななどと言うことがある。
しかしこの世の中に、悩みもなく気楽な生き方をしている人はどこにもいない。ニュースを見れば、政府もあっちからもこっちからも突かれ、答弁にも苦労している。外交問題は厳しく、気の休まる暇もないのではないか。国内でも大火災が発生して、被災者にはこの寒空の下で厳しい生活を強いられる。テレビ番組を見ていたら、もうどうすることもできません、生きる勇気が出てきませんと嘆いている。その通りですねと同情はできても、それ以上の支援はできない。定年になったら気楽な生き方をしたいと思って、農村に移住する人も多いと聞くが、現実はそれほど楽ではない。こんなはずではなかったと後悔する人も多いという。どこに気楽な生き方があるのだろうか。
文脈は離れるが新聞に、一粒を含みて思う亡き息子幼時ぶどうを「どぶ」と言いしを(大門とよ子)の句があった。息子を亡くした悲しみは、その経験者でなければ誰にも分からない。まして可愛い盛りの我が子を亡くせば、どれほどの悲しみがあったのだろうか。どれほどのもがきと苦しさを乗り越えてきたのだろうか。子の親ならば、どんな姿形でも良いから生きていてほしいと、神に願ったに違いない。
それを思えば、気楽な生き方などは口に出してはいけない。少しぐらいの老化現象や仕事の人間関係や、業績が良いとか悪いとか、勉強ができるできないの、など吹けば飛ぶような小さな小さな出来事である。このような出来事は、生きているからこそ生じるのだ。生きていれば必ず遭遇するのだから、相棒のようなものである。一生付き合えばよいのだ。気楽に生きるには、認知症にでもなるしかないだろう。歳をとっても気楽なことなんてない、それに向き合う方が楽しいよと、子供たちにも言うのだが、信じたくないようだ。
