実験

 今は火曜日の夕方、昼間は天気が良かったが、文字通り晩秋の一日だった。この季節は、木々の葉っぱが黄色や赤色に染まって、公園などは、一面が黄色い落ち葉で敷き詰められている。午前中は学校訪問があって、中庭のほとんどが花や畑や木で覆われているので、4階の教室から見たら、緑や黄色や赤の極彩色で、思わず見惚れた。市街地ではない、ここだけの幸せな空間のように思われた。晩秋はどこか物寂しいところもあるが、静かで平穏な季節である。

 この前のブログで防犯カメラの設定について書いたが、ブログを書く前の短い時間だったので時間切れだった。家内のリクエストで防犯カメラを設置したのだが、正解だった。テレビ番組を見ると、老人目当ての詐欺電話や偽の届け物が頻発しており、今年は特に被害額が急増しているという。用心に越したことはない。設定になぜ時間がかかったかというと、家内のスマホで設定したので、家内のアカウントがホストであり自分はメンバーであった。ホストしかいろいろな設定ができないことを、つい忘れていた。昨日は設定を変えたり、カメラの向きや角度を変えたりして調整をしたら、2人とも満足した。考えてみればこれは物理の問題であった。

 寒くなるとビールは飲まないが、一昨日は焼肉だったので冷たいビールを久しぶりに飲んだら美味しかった。ただベッドに入って3時間ぐらいで目が覚めた。小用を足したくなったのだ。トイレに行ってその後ぐっすり寝たので合計6時間は眠れた。この頃夕食で飲んでいるのは赤ワインか日本酒である。赤ワインならばほぼ6時間ぐらいぐっすり寝て、途中で目が覚めない。日本酒ならばほぼ8時間ぐらいぐっすり寝て、途中で目が覚めない。これはアルコール度数のせいか液体の量のせいか知りたくて、実はいろいろ実験していた。詳細は略すが、結果は量の問題ではなく、赤ワインと日本酒の特性の違いによるものだと分かった。ただビールは液体量が多いので多分量の問題だろう。これは生化学の問題である。

 このように、人は日々の生活でも実験をしているのだろうかと、ふと思った。突拍子もない仮説であるが、どこか真実がありそうな気がする。物理や化学の問題ならば日常生活でも実験をしていると言えるだろう。我々の生活はどうなのだろうか。買い物などではよく言われるように問題解決をしている。主婦は野菜はあの店が安い、魚はこの店が鮮度が良いなど、経験的な知識を豊富に持っている。これも実験と言えば実験である。人と人の付き合いではどうだろうか。これは難問である。多分心理学の問題かもしれないが、学問では片づけられないだろう。

 最近ある人とオンラインで打ち合わせをした。自分は事前ではどこかで気に入らなくて、打ち合わせでは不機嫌であったことを自覚していた。しかしふと相手のことが気になって自分の見方を変えようと思った。その瞬間から自分もいろいろなことに気がついた。終わってみれば相手も自分も、この打ち合わせに満足していた。つまり人と人との付き合いは、こちらの心が変わればすぐに変わる。まるで化学反応のように、まるで物理の力学のように、きちんとした因果関係があると思った。

 文脈は離れるが3週間ほど前の新聞に、余命少なき父が看護師にわれのこと自慢せし笑顔今も忘れ得ず(古山智子)の句があった。この作者の父親は娘のことが自慢で、嬉しそうに看護師に語ったのだ。残り少ない命のことは父親も知っていただろう。しかし娘に看取られて、幸せな気持ちで死を迎えたのではないだろうか。娘もその父親の笑顔が忘れられない。それは何にも代え難い至福の時間だったのではないだろうか。臨終が近いかもしれない時に、心の持ち方次第で幸せな思い出を作ることもできる。人との付き合い方も同じではないだろうか。人は、この世の中の出来事を通して知恵を獲得していく。それは日常生活という経験の中で得られるものだろう。経験とは実験と言えるのではないか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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