時が解決する

 今は火曜日の夕方、いつものように書斎の南側の窓から外を見るが、どんよりとした曇り空である。肌寒い一日で、まるで冬の初めのような気温で、空に明るい日差しは見えなかった。こんな一日でも時は確実に刻んでいき、お昼過ぎに首相指名選挙があって、国会中継をしていた。午後2時からオンライン会議があるので、どうなるかと固唾を飲んでテレビ画面を見ていたが、選挙結果は午後1時45分ぐらいだったろうか、タイミングよく報道された。それを見て2階の書斎に上がった。

 オンライン会議は仕事なので選挙などの話は一切しなかったが、先週からずっとお昼の時間は午後1時半ぐらいまでテレビ報道を見ていた。この前のブログにも書いたように、波乱万丈のドラマのような選挙であった。午後2時からはオンライン会議と、その後1時間ぐらいしか時間がなかったが、スポーツジムに行ってプールで泳いできた。そして今書斎でブログを書いている。新内閣の人事や詳細は、午後7時からの夕食の時間にニュースで確かめよう。それにしても与党野党とも関係者は、ハラハラドキドキ緊張の1週間だったに違いない。これから先はどうなるか分からないが、とりあえず審判は下された。

 政治には疎い自分だが、新総理の熱意というか頑張りというか粘り強さ、つまりレジリエンスには脱帽した。政党の論理も大切であるが、最後はレジリエンスのような人間っぽさの方に軍配が上がるのかと思った。理屈っぽく言えば、政策の理念は論理であるが、熱意や粘り強さは情意や感覚である。教育の分野で言えば、認知なのか非認知なのかである。これまでは認知、つまり思考力判断力のような論理的な能力を育てることを重視していたが、今日では、それ以上に諦めないとか情熱を持つなどの感性的な能力、つまり非認知能力が重要視されている。その意味で、新総理の熱意が首相の座を射止めたのではないか。

 ハラハラドキドキすることも病気の痛みもつらい出来事も、逆に嬉しい喜びもいつかは終わる。つまり時が解決する。自分を振り返ってみても、あの時は大変だった、いつ解決するのか、これが夢だったらなどと思い、お腹が痛くて痛くて何とかして欲しいと神に祈り、この痛みが無くなったらどんなに幸せだろうかなどと思ったことは、何度もある。それは誰でも同じような経験をしているだろう。自分が今ここにこうして、何事もなくブログを書くことができるのは、そのようなつらい経験が過ぎ去ったからである。つまり時が解決してくれたのだ。逆に楽しいことも長くは続かない。それも浜辺の砂模様を波が消していくように消していくのだ。時とは、都合のいいことも悪いこともきれいに流してくれる。ならば、あまり一喜一憂せずにありのままに生きていけばいいのではないか。

 新聞に、「虚子申す時解決す残暑また」(村越陽一)の句があった。俳壇の選者によれば、高浜虚子に、時が解決すると読んだ俳句があるようで、その本歌取りをしていると解説していた。なるほど暑い暑いと言っていた残暑も、今日などはむしろ寒いぐらいで、時が経てば秋は確実にやってくる。それは自然の移り変わりだけでなく、人間社会の織り成す諸々の出来事も、時が経てば必ず落ちつくところに落ち着くのだろう。そう思いながらも、人間はなかなか悟り切れず、時を待たないで今何とかして欲しいと思うことが多いのだが、それは多分人間のわがままなのだろう。自分も含めて、それが凡人の姿なのかもしれない。新総理大臣は、もちろん努力しながら、じっと時が来るのを待っていたのかもしれない。

 

 

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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