今は土曜日の夕方、昨日と今日は秋晴れの言葉にふさわしい天気だった。昨日などは一片の雲もなく文字通り「天高く馬肥ゆる秋」と思わず独り言をつぶやくような天気で、今日も白い雲と青い空に包まれて、運動会か遠足などがふさわしい1日だった。先ほど嫁が、孫の小学生最後の運動会の様子をLINEの動画で送ってきた。誰でも同じような経験をしながら、季節が移っていく。
自分は日曜日を除いて朝はテレビを見ないで、昼食時と夕食時に見る。お昼は12時から約1時間、夕方は午後7時から9時までとおよそ時間が決まっている。ところが先週から今週にかけて、お昼に12時から1時間半ぐらいテレビ番組を見ている。言うまでもなく首相指名選挙で与党野党とも大賑わいで、まるでドラマでも見ているような気がする。一緒に見ている家内も、他の番組よりもはるかに面白いと言う。国の大切な首相を決める政治イベントとは言いながら、ドラマでもこんなストーリーは描けないと思うほど、波乱万丈の物語が展開している、首相指名劇場と呼んでもいいだろう。
テレビの観戦者は野次馬であり劇場の観客である。だから無責任なので、面白がっているだけだが、芝居をする役者は真剣勝負であり丁丁発止と舞台の上で大立ち回りをしている。選挙だから投票数の多い方が指名されることは当たり前であるが、政治家のやり取りを見ていると、与党にしろ野党にしろ単独では勝てないので連立することになるが、問題は政策をどのように合意するかである。その時あくまでも自分の政党の政策を固持するか、連立する相手の政党の政策も受け入れるか、そのせめぎ合いである。連立するなら妥協すればよいのにと、観客としては思うこともある。
ただそこが政党に所属する国会議員と違うところで、彼らは政策に共鳴して集まった集団なので、その政策を曲げて妥協することは、自分自身を偽ることにもつながるのだ。研究者でも似たようなことがあって、自分が研究して正しいと信念を持っている場合は、どのような事態でも決して妥協しない。ガリレオ・ガリレイが、「それでも地球は回っている」と言明したとおりである。しかし一方、連立するにはある程度妥協も必要であり、政権を担うには数が必要なのだから、政策を固持して議論を振り回すのはきれいごとではないのかという現実主義の国会議員もいる。
それを聞いて、ふと自分のことを振り返った。時折、小中学校の先生方を前に講演をすることがある。先生方はひょっとして、「現場も知らないで何をきれいごとを言っているのだ、そんな理論的なことよりも、すぐに役立つハウツーを教えてほしい」と思っているのではないだろうか。ただ研究者としての自分は、ノウハウやハウツーだけを話すことはどうしてもできないのだ。背景にどのような概念があり理論があるかを伝えないと、それは自分ではなくなるからである。我々はよくディシプリンの用語を使うが、規則や統制などと訳されるが、自分は学問や研究の基本姿勢やあり方のような受け止め方をしている。研究者は自分の学問のディシプリンによって行動するので、妥協することは極めて難しいのである。
文脈は遠く離れるが新聞に、「おおよそで生きる余生や秋うらら」(渡辺しゅういち)の句があった。歳をとってくると、「まあそんな固いことを言わないで、世間と仲良く付き合っていく方が良い」などと若い人に言うようになる。自説にあまりに固持すると、「あいつはまだ青い」などと揶揄する言葉も聞かれる。番組の中でも、それに似た言葉を発する国会議員もいた。さてどちらが正しいのか、自分にはわからない。ただ一般的には、政党とか大学などに所属する人間はディシプリンにこだわるようだ。一方世間の裏表を見ながら仕事をする人は、綺麗事ではなく相手に応じて自分の信念さえも変えていく。小中学校の先生方も同じようで、ひとりひとりの子どもに寄り添って、自分のあり方を変えていくのだ。考えてみれば、それも他人が真似のできない優れたディシプリンなのかもしれない。
