今日は火曜日の夕方、書斎の窓から見る空はもう暗くなっており、今にも雨が降ってきそうである。天気予報によれば、今晩から明日の朝までずっと雨が降るらしい。秋にしては肌寒い一日だった。最近の天気は予測がつかず寒暖の差が激しいので、体がついていかない。しかし、つつがなく一日を終わろうとしているのは、それだけでありがたい。外を見ていると、なるほど秋は静かだと実感する。
そういえば今日午前中、授業参観で音楽の時間で「赤とんぼ」の歌を歌っていた。三木露風作詞、山田耕筰作曲のこの歌は叙情溢れる名曲で、先生が「負われて見るのはいつの日か」の「負われて」の意味は、と生徒に質問したら、「背負われて」と答えた。それを聞いて、自分はまるで母親の背中に背負われて赤とんぼを見ているような情景が浮かんだ。こんな優しい世界に住めればいいと、歌を聞きながら思った。
ふと一昨日の日曜日の朝の番組を思い出した。NHK「小さな旅」だった。この番組のファンで、どこか牧歌的な音楽と共に、その地域に出かけたような気持ちになる。一昨日は石川県能登島だった。大地震で大被害を受けて、大勢の人がこの島から離れていったが、島に残ってなんとか生活しようとする人たちがいた。その中の一人が、海に住んでいるイルカを小さな船の上から見るガイドの女性であった。この小さな島で生きていくのは容易ではない。彼女がいくつかの過去の出来事を語るシーンがあった。娘があるとき突然に家出をして、その娘の子供を一人残したまま突然消息を絶った。彼女が孫の面倒を見て育てている。そして能登地方は地震の他に水害もあって、立ち直る気力も失せた。
しかし泣いてばかりではいられないのだ。何としてでも生活しなければならない。その現実が彼女の気力を蘇らせた。そして今はイルカウォッチングのガイドをしながら、観光客が能登島を訪れてくれるのを待っている。確実に収入を得るという保証はないが、それでも嘆いてばかりでは何も前に進まない。その姿を見て、人はこんなにも努力をして生きていくのかと、胸を打たれた。彼女ばかりではなかった。島の漁師が自分の息子と共に祭りを復活させようと努力していた。
考えてみれば全国あちこちに、自然災害という不可抗力の出来事に遭遇して、その不満を誰にぶちまけることもできない状況の中で、立ち上がろうとしている人たちがいる。自分がその立場になったらどうだろうかと思った。たぶん立ち上がれないだろうと思った時、自分はなんと弱い人間なんだろうかとふと思った。
新聞に、「残照に黄金(こがね)の穂波かがよひて能登の棚田はよみがへりたり」(熊田敏夫)の句があった。月曜日の新聞に、まるで「小さな旅」の番組を見ていたかのような句が掲載されていた。目も覚めるような神々しいような光景だったのではないか。そしてその棚田を見て、苦労を重ねてきた人々は嬉しかったに違いない。その喜びがこの句から伝わってくるようだ。
今日も何事もなく、一日が終わることに感謝するしかない。書斎のパソコンでブログを書きながら、平凡であることのありがたさを感じている。誰でもそのことを知っているが、なかなか実感できない。考えてみれば、不平や不安や不満の方が、感謝よりも多いのはなぜだろうか。凡人は悟ることができないから、そんなふうにして月日を過ごしていくのだろうか。
