今日は土曜日の夕方、いつもは自宅なのだが今日は学会の年会があって、ホテルの中にいる。雰囲気が違うのでどうもブログが書きにくいので、公開日誌にふさわしい文章かどうか不安であるが、お許しいただきたい。今日は朝から研究発表を聞き、質疑応答して、いわば贅沢な時間を過ごした。早朝に自宅を出て、会場に着いたらずっと研究発表を聞こうと思っていた。それは正解であった。自分が現役で学生たちと一緒に学会の年会に参加していた時とは違って、規模も大きくなり発展していた。若い人たちで会場もいっぱいで、盛況の言葉通りだった。自分の年齢では発表することは当然ながらないが、発表を聞いて議論するのが楽しい一時なのである。それは自分のアイデンティティというか、本来の自分に出会うというか、ああ、そうなのか自分はこうして時を過ごしたかったのかと思ったりする。特にこれから研究者の道を進もうとする大学院生や若い人たちに、教わることが多い。何か研究の息吹を感じるのだ。それは研究のレベルが深いとかアイディアが優れているとかではなく、研究自体の若さと言っていいのか、荒削りでも未来を見つめるキラリと光る魅力を感じるのだ。今日はそんなダイヤモンドの原石のようないくつかの研究に触れて楽しかった。時間があればもっと聞きたかったがそれはできない。ただ輝くような研究でも、磨かなければただの石ころになってしまう。議論が楽しいのは、宝石にするための工夫というかアイデアが出てくるからで、それはこれまでの自分が蓄えてきた経験値ではなく、発表者と自分との間で作り出す知的作業だと思う。今日の最後のセッションで、論文の書き方のようなきっちりした講演を聞いた。非の打ち所がない、疑問の余地が見出せないような内容であったが、正直に言えばあまり面白くなかった。その通りだと思うが、凡人である我々にはそのように実行できないのだ。交通事故を起こして、交通法規の講義を延々と聞かされているような感じであった。研究には硬い研究と柔らかい研究があると思う。柔らかい研究の方が人間味があってどこか面白い。講演を聞きながら、人は面白いから研究するのだと不遜なことを思っていた。文脈は遠く離れるが新聞に、「負けました皆な応援ありがとう」家族LINEへ少女剣士が(須山佳代子)の句があった。剣道の試合に出て負けた少女が、さわやかにそしてきっぱりと家族全員に伝えた。心が洗われるような短歌である。研究も同じかもしれない。爽やかでどこか他人が応援したくなるような発表に触れると、自分も心が洗われる。年を取って頑固じじいと言われたくない。この少女剣士のような生き様を見習って生きていきたい。今日は本当に勉強をさせていただいた。明日もまだある。
