夏風邪

今は水曜日の夕方、書斎の南側の窓から見える空の景色も、暑さが少し和らぎ白い雲と青空のバランスが9月の季節に丁度良い。昨日火曜日は忙しくて時間が取れなかった。あれほど灼熱のような猛暑が退いて、外は柔らかい風も吹いている。今日はほんの少量だが小雨が降ったので、野菜なども息を吹き返らせているような気がする。先ほど床屋から帰ってきたばかりで、いつものようなスポーツジムなどには行っていない。夏風邪をひいたのである。家内は1階のベッドで、自分は2階の寝室で別々に寝ているのだが、クーラーの設定があまり上手くいかないようで、数日前より喉がガラガラになった。家内に加湿器を使うようにと言われて、昨夜は使ったが、1人だといろいろなことを忘れてしまう。小さな夏風邪でも鼻水がしょっちゅう出てくる。それよりも思考が深まらないのがつらい。そして、なんとなく体全体がだるい。だから家内はベッドで体を休めるようにというが、生まれついた時間の貧乏性なのか、何かしていないと背中を突かれているような気がするが、今日はさすがにゆったりしている。早朝に習慣になった庭の草取りなども今日は止めた。ただ今週は月曜日から土曜日まで毎日所沢市内及び市外にも出かける予定になっている。こんなことはまれなのだが、今週だけはなぜか集中している。これも自分の力でどうにもなるものでもなく、自然の流れに任せるしかない。ただこんな体調不良で大丈夫かという不安はある。こんな時ふと都内で暮らす子どもたちや、若い頃に一緒に仕事をした仲間や、すでに物故者になった友達や、病気を患って病院通いをしている仲間や、いろんな人の顔が頭に浮かんでくる。たかが鼻水が出るぐらいの小さな風邪であっても人は気が弱くなると、いろんなことを思い出すようだ。それでも研究者としての矜持なのかプライドなのか、多少朦朧とした頭で、先ほどまで分析をしていた。詳細は言えないが、それは自分にとって存在証明のようなものである。老いぼれの妄想かとでも言われそうだが、研究する者は最後の最後まで往生の瞬間まで追い続けているものらしい。偉大な先達はそのようにして寿命を全うされた。少しでも良いので自分もその先達に近づきたいという希望を持っている。文脈は離れるが新聞に、君の声雲の峰よりきこえしか(小池喜久枝)の句があった。女性の句なので、君が誰かを推測するのは失礼だが、多分若い頃の思い出深い友達だろう。今頃その友達は何をしているのか、元気で生活しているだろうか、病気で苦しんでいないか、家族に見守られて幸せに暮らしているだろうかなど、雲と雲の間の峰から友達の声が聞こえてきそうである。友達だろうと書いたが、同性でも異性でもどちらでもよい。自分が少し気が弱くなると、友達の声を聴きたくなるのだ。自分が少しでもつらければ、相手に話を聞いてもらいたい、相手も困ったことがあれば話してほしい、そしてお互いが辛さを共有していけば乗り越えることができるのだ。日本人はそうして生きてきた。自分も仲の良かった友達に会いたいと思うことがある。しかし現実はほとんど無理なのだ。明日も他県に行って研究会に参加し講演もする。感傷に浸っている時間はない。いくつになっても最善を尽くして取り組むしか生きる道はない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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