今は土曜日の夕方、というより、お盆連休の最後の土曜日なので、多分帰省から帰る車で高速道路は渋滞し新幹線などの交通機関も混雑する曜日だろう。テレビ画面を見ると色々なニュースで賑わっている。トランプとプーチンの首脳会談、九州地方の大洪水による被害、大阪万博で帰宅できない大勢の人たち、毎年の事ながらの甲子園の高校野球など、1日1日があっという間に過ぎ去っていく。自分もそれなりの変化があった。14日に家内が入院し、15日に手術をし、そして今日16日になった。毎日病院に行っているが、15日は、先生から手術結果の説明を受けた。4時間ほどの手術だったが1時間長引いたので、内心何か予期しない現象、病気の併発などを心配した。待つ身には、不吉なことしか浮かんでこない。これはいけないと思って、自分は病院に小説を持ち込んで読んでいた。これは正解だった。心配したところで何の意味もないことは誰も知っているが、それができないのが凡人の悲しさで、そんなときは何かの助けを借りることだ。半分心配しながら半分は小説の中身に惹かれていった。そして先生は、レントゲンを映して、丁寧に手術の経緯と術後の結果を説明してくれた。なるほど医学は正真正銘の科学である。原因となる箇所を取り除くか、何かで代用するかによって、体を回復させる。つまり明白な因果関係に基づいて処方するのである。その時ふと思った。教育は外科ではなく内科ではないか。内科の処方は、主に薬とか生活習慣の改善などで、原因となるものを切って取り除くわけではない。教育もいじめや不登校のことを思えば明白で、原因となるものが明確ではないので簡単に切って取り除くという外科的処方は適用できない。子供によって多様な要因があり、それが複雑に絡み合っていたり、家庭環境なども影響を与えているので、ケースバイケースで暗中模索の解決法のように思われる。そして最後は、子ども自身の内面の変化や心のあり方によって解決する、というか解決する場合もある。それは科学ではないのかもしれない。あるいは極めて複雑な関係なので、現代の科学では手におえないのかもしれない。いずれにしても自分は担当した医師の説明を聞いて、医者は科学者であり技術者でありそして人の命を救う職種であると思った。それに比べれば、自分はまだ専門家とは呼べないような気がするが、教育は精神科医に近いかもしれない。教育は内科よりもっと内面に関わる現象を扱うからである。ただしあてずっぽうに処方する、つまり適当に指導しているわけではなく、これまでの経験知と研究に基づいた科学知によって、研究者も先生方も子供達に対応している。そんなことを考えていたので、15日は帰宅が遅くなり、夕食はカレーライスで済ませた。といってもスーパーで即席カレーを買って、電子レンジで1分10秒温めて、ご飯の上にかけただけで、美味しいカレーライスができる。自分で作ったのは初めてだったが、オーバーに言えば感動した。こんなにも美味しいのかと思ったが、そこにも食品メーカーの専門家がいた。彼らもまた美味しさを追求する科学者であり技術者であり、人に喜びを届ける職種である。教育は当然ながら人を育てる職種であるが、外科手術や即席カレーとは異なる面をもっている。医療も食品業者も最先端の技術を使い、それぞれの目標を達成するのだが、より正確に、より短時間に、より美味しくという効率を指標に用いている。教育の場合は効率だけの指標では、目的を達成できない。最先端の技術ではなく、手作業で直接子どもに触れる、子供に任せるなどの外的手段を用いない指導が多いのだ。それは長い経験による知恵だろう。場合によって、生成AIなどの最先端技術を導入するとうまくいく場合もある。だから複雑な糸の絡み合いのような世界が、教育なのである。文脈は離れるが新聞に、あるもので済ます八月十五日(里村直)の句があった。昔の日本はみんな貧乏だったから、8月15日でなくても美味しい食べ物を求めていたような気がする。今は簡単に美味しいカレーライスが食べられる。美味しいのだが、夏のキャンプでみんなで作ったカレーライス、家内が作ったカレーライス、どれも手作りで、その温もりが胃の中だけでなく、体全体にしみわたっている。教育は昔ながらの、その温もりを求めているのだろう。
