今は火曜日の夕方、というより世間ではお盆休みの真っ最中であろう。いつものように南向きの窓から空を見ると、小雨が先ほど降ったせいか青空は一点もなく白い雲に覆われている。まだ小粒の雨が窓越しに見える。自分たち老夫婦は、この連休中は我が家で過ごすことにしている。暑い中を出かけるのもしんどいし、人ごみの中はさらに疲れる。孫たちもそれなりに忙しく、昨年までのような全員が揃って一泊することは今年はない。娘と息子は少し気を遣ったせいか、一泊して帰っていった。我が家で夕食をするのも準備片付けが面倒なので、レストランに行って気兼ねなく連休の一時を楽しんだ。彼らは昨日帰ったので、老夫婦2人の生活に戻った。灼熱でも酷暑でもなく普通の暑さで物理的には気持ちの良い気温なのだが、空一面が灰色に見えるとどことなく寂寥感が湧いてきて、夏なのにとふと思う。夏はやはり照りつける太陽と、できれば風が吹いて欲しい。いくつになっても夏は、自由・さわやか・自然などの言葉が似合うからだ。ブログは公開日誌なので自分のありのままの姿をつづるのだが、私的なことは、はばかられる。だが生きていくことは綺麗事ではない。小さな心配ごともある。家内が腰から足首まで痛くなって、今週に手術を受け入院することになった。脊柱管狭窄症と医者はいう。ベテランの医師であっても、自分にとっては心が痛む。手術が成功しますように、後遺症が起きませんように、そして何より元気になれますようにと祈るしかない。今の予定では8月末までの入院だという。今朝留守中の諸々のことを家内に教えてもらい、メモを取り写真に撮った。ゴミの出し方・電気釜の使い方・台所の流し台・オーブンや電子レンジの使い方。魚の焼き方・ルンバの使い方・洗濯機の使い方とその乾燥の仕方など多岐にわたっている。これまで家内に任せっきりであった自分への罰である。男女共同参画だから、娘夫婦も息子夫婦もお互いに掃除や洗濯・料理・子育てなど平等にうまくやっているらしい。共稼ぎだから当然なのだが、古い人間だと難しいこともあり、自分も勉強しなくてはと思う。新聞に、ひとりづつ家族の減りてゆくことの練習ならむ母の入院(永田愛)の句があった。自分と似たような境遇を詠んだ句なのかもしれない。練習と捉えられれば、それを身につける喜びが潜んでいるが、自分の場合は不安の方が大きい。多分この作者は若くて元気なので、上手くやっていけるだろう。未知のことは誰でも不安になる。最近読んだ専門書の中に、人が不安になる67%は実際には起きない、そして17%は起きても解決できるという論文が紹介されていた。つまり不安になるのは、自分の頭の中で勝手に作り出していることなのだ。そして実際に起きたとしても解決することができると考えれば、気が楽になると思いつつも、あーでもないこーでもないと考えるのが凡人の常である。ただ、この頃感じることは、あっという間に時が経ち、あっという間に過ぎ去って、あれはなんだったのだろうと思うほど、あっけなく終わることが多い。つまり経験的にもこの論文は正しいようだ。そう思えば、不安ではなく、毎日毎時間を悔いのないように大切に過ごしていくしか方法はないようだ。
