今は土曜日の夕方、いつものように南向きの窓から見る空は青空で、雲ひとつ見えない。しかし先ほど小雨が降ったせいか涼しい。こんな天気なら気持ちも晴れやかで、先ほどすぐ近くのスーパーに、食後のお菓子と家内に頼まれた冷奴にかける小葱を買ってきた。土曜日なのでスポーツジムに行ったが、灼熱という暑さではなかったので往復の歩きも軽快だった。世の中は、今日9日から17日まで大型のお盆休みが始まる。テレビでは成田空港の様子を映し出していたが、海外旅行に出かける若い人たちは、満面の笑顔でインタビューに答えていた。自分たち老夫婦は特に出かける予定はない。迎え火や送り火などをして静かにお盆を過ごしたい。子供たちは、孫たちの高校受験の夏期講習などがあって、我が家には来ないようだ。それもよかろう、フリーランスの身としては平日も連休も区別がないから、毎日をそれなりに過ごしている。書斎で過ごす時間が最も長いので、ほとんどはパソコンの前で仕事をしたり用事をしたりしているが、時々スマホでニュースを読んだりする。パソコンは仕事だが、スマホは週刊誌のような興味本位の記事を読む。最近よく読むのは、定年後の老夫婦の生き方のレポートである。子供の頃から勉学に励み大学を卒業して大手企業に就職する。それなりの役職を経て65歳の定年になり、第二の人生を歩む。これは人も羨むような順風満帆な人生だろう。退職金とこれまでの貯金を合わせてかなりの金額があり、年金を毎月の生活費に当てれば、退職後の生活は、たまには海外旅行に行ったり時々温泉に行ったりささやかな趣味を楽しんだりするなどの夢を描ける。ところがスマホのレポートを読むと、それがことごとく挫折する。ただそのような事例だけを集めているのかもしれないが、なんとなく真実味があって妙に納得する。例えば突然一人息子が老夫婦の元にやってきて、今の職場を辞めて海外で勉強したいから老夫婦の貯金を借りたいと言って、計画が崩れてしまう。もっと厳しい事例は、娘が老夫婦の元に1人の孫を連れて転がり込んできた。聞けば離婚したという。それで甘い夢を見ていた老夫婦は、現実の厳しさを味わうことになった。あれほど頑健だったご主人が、仕事を離れて急に老け込み病院で検査の結果入院する運びとなった。これで仕事を離れて悠悠自適の生活はできなくなった。あるご主人は、退職の日にルンルン気分で我が家に帰ったら、奥さんから離婚届を突きつけられた。ある老夫婦は人気の高齢者向け高級マンションに引っ越した。スポーツ施設が完備され、腕利きのシェフがいて美味しい料理が食べられ、医療もいつでも対応できるという。初めのうちは満足していたが、数カ月もすれば飽きてきて、マンションの住民の人間関係がこじれて引きこもりになったという。どれもこれも第二の人生がもろくも崩れ去ったという記事である。改めて思う。第二の人生はそんなに甘くはない。ただ誤解のないように書くが、当然ながらこれは自分のことではない。午前中、理由は書かないが、道徳教育の専門書を読んでいた。道徳の徳目は、美味しい料理を食べるとか楽しい旅行をするとか健康になれるとかという目先の利益ではなく、そのように生きること自身が目的なのだと論じていた。その通りだと自分も納得しているのだが、本音は美味しい料理や楽しい旅行や病気になりたくないのであり、もし道徳の徳目がこの現実の利益や幸せと無関係ならば、何のために道徳教育を受けるのかよくわからない。文脈は離れるが新聞に、手もとより茶碗すべりて粉々に不意に来たりし命の終わり(森影千恵)の句があった。一瞬にして茶碗が割れて茶碗の命も終わったと同じように、人の幸不幸も一瞬にして生まれたり終わったりするのだろうか。茶碗が割れたのはふとしたはずみの偶然の出来事だとすれば、第二の人生を生きる老夫婦の幸不幸も、ふとした偶然の出来事なのか、あるいはこれまでの老夫婦の生き方に原因がある因果応報の結果なのか、自分にはわからない。
