今日も暑い暑い一日で、酷暑という名の通り、容赦なく太陽が体を照りつける。今日も手帳の予定に従って、午後スポーツジムに行った。その往復の歩く時間は約30分、簡易ゴルフクラブとリュックをしょって歩くと、それだけで汗びっしょりになる。お昼の時間に往復10分の距離を歩いて、用事を済ませた。これも太陽がまともに垂直に近い角度で頭に当たると、脳の芯まで熱くなるような気がする。昨日は都内でセミナーに参加したので、ほぼ一日中クーラーのきいた部屋だったが、行き帰りはジャケットを着て駅の階段を登ったり降りたり、駅までの道を歩いたりしたので、蒸し風呂のような気がした。これも仕方がないと思うのは、クーラーが効きすぎる部屋であればジャケットが必須だからである。いずれにしても寒暖の差が大きすぎて、皮膚呼吸もしているだろうから、体細胞が右往左往しているにちがいない。今時は自然の変化に体がついて受けず、風邪をひいたり熱中症とまでは言わないまでもそれに近い症状が出てくるかもしれない。先ほど家内も言っていたが、この暑さでパンがすぐ腐ってしまうと嘆いていた。そんなことがあるのかと思ったが、考えてみればそうかもしれない。自然の猛威の前には、なすすべもなく仕方がないと嘆息するしかないのか。ただ自分はスポーツジムの会員になっていて、本当に良かったと思っている。午後2時から4時といえば、気温が最高になる時間帯で、今日は所沢でも39度か40度という記録だったらしい。先ほど家内と近くのスーパーに行った。スーパーでの買い物もあるが、隣接しているクリーニング屋さんに冬物の衣服のクリーニングを依頼し、出来上がった衣服を受け取りに行き、その衣服の運び係りを自分が受け持った。そしてスーパーで刺身とガリガリ君と白菜の漬物を買ったのは、自分の好物だからである。何でもいいので少し手伝うと、家内も喜んで気を遣うようだ。帰宅して時間がないのですぐ書斎に上がりたかったが、それよりもガリガリ君や冷たい水を飲む方が先決で、この時期はお腹の中は水分でいっぱいだろう。書斎に上がったが、あまりよいアイディアも浮かばず、先ほど届いたアマゾンからの専門書を読みたいのだが、これも明日以降に先延ばしをする。やらねばならぬことはいろいろあるが、目の前のことからやっていくと、重要なことほど先伸ばしになる。戦略を変えて、重要なことを優先するように手帳に書いているのだが、重要なことほど時間がかかる。しかも重要なことほど短い時間の寄せ集めでは、文脈を思い出すだけで時間がかかるので、まとまった時間が必要なのだ。それならスポーツジムを休めばよいのかと思うのだが、これは優先したい。汗びっしょりになった後のプールや水中ウォーキングが、この上ない快感で皮膚にまつわりつくような水の流れに幸せ感を感じるからだ。つまり重要なことより目先の癒しの方が優先される。それは人が生きる知恵なのかもしれない。長くもない人生ならば、今の幸せを優先すればいい。文脈は遠く離れるが新聞に、子を打った後の食卓ふりかけのドラえもんだけ笑っておりぬ(本田岳)の句があった。何か問題があったのだろう、感情に任せて我が子に手を上げた。食卓のドラえもんはいつもと同じで笑っているのを見て、ふと自分を振り返ったのかもしれない。後味の悪さと後悔と気まずさが食卓に漂って、後の食事がまずかったかもしれない。こんなことは誰でも経験している。我が子でなくても他人であっても、批判したりすると後ですまないと思うことはよくある。当たり前だが、ドラえもんのように笑っていたい。その方が心地よいからだ。これは許せぬとかこれは最重要だとかどうしてもやらねばならぬとか、実は後になってみるとそれほどでもないことに気がつくことが多い。自分で勝手にそう思い込んでいるとすれば、子に手を挙げた親と同じで、けしからんと思っているだけなのかもしれない。そう思えば、目先の楽しさや癒しの方が、周囲も明るくなり物事がうまくいくような気がする。今日も夕食が楽しみである。
