今は火曜日の夕方、いつものように書斎の窓から南の空を眺めている。前回のブログを書いた時と同じように、真っ青な空が広がっていて、西日といえども容赦ない太陽が照りつけている。口から出てくるのは、暑いの一言である。部屋の中にいればそれなりに涼しいのだが、外に出れば炎天下、灼熱の日差しが皮膚にあたって痛いような感じすらする。こんなときは新聞やテレビが報道するように、熱中症にならないように外出は避けることであろう。とは言ってもずっと引きこもるわけにはいかず、用事があれば外に出る。今日も午後は2回ほど外出した。その1回はこの前のブログでも書いたが、スポーツジムである。自由業の身になって時間的な余裕が出てきて、というよりも手帳の余白が目立つので、何かしらの用事を埋めている。といっても無理に空白を詰めようとしているわけではない。自由業つまりフリーランスは、タレントを始め多様な職種の人がいるだろう。彼らはオファーがあれば出かけて、パフォーマンスを披露することが仕事だろう。自分たちの場合は、パフォーマンスというよりもそのための準備やプロセスの方に比重が高い。つまり結果ではなくプロセスなのである。それは強がりなのかと揶揄される方もいるかもしれないが、自分の感覚はその通りである。例えばイベントの司会や講演など、多くの参加者があり高い評価であれば、その仕事は成功だったと言える。ただ自分は、誤解を恐れずに書けば、そのような結果にはあまり重きを置いていない。その準備の時に、新しいアイディアが生まれたとか、これは研究としても優れているとか、何かしらの過去のイベントや講演とは違うオリジナリティーを求めるのである。それは大学に身をおいたものであれば、同じような感覚ではないかと思う。自分はどんな小さなイベントでも、過去とまったく同じ内容を話したくない。聴衆者が別だからとよく主催者は言うが、そこに新しさがない限り、自分自身が少し汚れていくような気がするからである。それは研究と同じなので、準備に時間がかかる。だから手帳の空白の時間は、その準備に当てているので、自分にとって、世の中はうまく出来ていると思う。午前中はそんなことでほとんど時間が潰れる。そして新しい気づきがあると嬉しくてニコニコしている。ただデスクワークばかりでは健康が維持できないので、休日と平日で週3日間をスポーツジムに行くことを自分に課している。今日はその平日の日であった。スポーツをすると気持ちが前向きになる。この前のブログでも書いたが、長い期間暑さが続くと限界になってきて、早く逃れたいと思う。今日も帰り道で、冷たい水とガリガリ君を思い出して家路を急いだ。つまりある事柄があまりにも強烈であれば、そのことだけに囚われてしまう。たぶんそれは誰でも同じだろう。そこから別のことに思考が広がらないのである。自分の気に入らないことや思いどうりにならないことがあって、そればかりに囚われたら、多分うつ病のような状態になるだろう。そこから逃げられないからである。研究も同じである。思考から別の思考に飛躍できずに、ぐるぐる回っているだけのような感じになる。だからプールで泳いでいる時は、新しい気付きもあるが、熱中症になるかと思うほどの炎天下では、ただただ早く帰宅したいだけで、それ以外は考えられないのである。文脈は離れるが新聞に、ためいきもビールの泡もCO2(渡辺しゅういち)の句があった。あっと声をあげるほど新鮮な響きがあった。なるほど両方とも地球温暖化に加担しているのかと、俳句の撰者も述べていた。地球温暖化と言えば自動車の排気ガスぐらいしか思い浮かばないが、この発想は面白い。これが新しい気づきである。しかも飛切り上等の気づきである。ビールは夏の季語だとネットに書いてあったが、そうであればキンキンに冷えたビールが眼に浮かぶ。今から夕食が楽しみである。それ以上の新しい気づきは自分にはない。
