今は土曜日の夕方、いつものように書斎の窓から南向きの空を見ている。熱帯性低気圧が南側の太平洋に発生して、いずれ台風になるだろうと報道しているようで、今日は1日中曇り空であった。ここ数日間涼しい日が続いて、ほっとしている。これでようやく人間らしい生活ができる。このブログでも書いたが、1週間ほど前に内科クリニックに行って風邪の薬をもらってきた。その前の2週間ぐらいゴホンゴホンとしていたから、今日で約3週間治っていなかった。そして今日ようやく咳が止まって元気になった。昨日までまだ少し風邪気味で、夕方に床屋に行った時に、カミソリでひげを剃っている最中に、咳が出そうで我慢するのに困った。こんな天候不順な毎日であれば、誰でも風邪ぐらい引くだろう。昨日まではクーラーの風に直接当たると寒気がし、クーラーの電源をオフにすると暑くてたまらない、そのそんな矛盾の中で温度調節をしていた。今朝になって風邪の菌がようやく体内から外に出たのか、ほとんど咳も出ず寒くも暑くもなく元気も出てきたようだ。そのせいかどうかわからないが、ずっと気になっていたことを今朝やってみようと思った。我が家の庭に、雑草やごみなどを入れて堆肥にする大きなポリバケツがある。我が家は、このポリバケツを別の用途で使っている。詳細は書かないが、これをどうしても固定したいと思っていた。それはなぜだと言われてもスペースが必要なので省略する。気にはなっていたのだが、連日の猛暑とここ数日間の豪雨があって、すっかりどこかに逃げてしまった。体が元気になったのと、朝はめっきり涼しくなったので、今日この仕事をやろうと思った。しかし新しいことを始める時には気力が必要である。やらねばならぬとは思いつつ、面倒だから今日は止めようという心が勝って、ほとんど日にちだけが過ぎ去っていくのが凡人の姿である。雑草が我が物顔に生えている庭を見ていると、ますます面倒になる。ただこの時そのポリバケツを見て、ふと思いついたことがあった。そうかその方法があったかもしれない、などと書いても、何のことか読者にはわからないだろうが、お許しいただきたい。すぐに物置を探したら、まるで自分を待っていたかのように、2枚の板がしっかりと保管されていた。これだ、れでうまくいくかもしれないと思った。朝5時起床で洗顔をして5時半からこの作業に取りかかった。色々なアイディアが湧いてきて、イメージ通りのポリバケツの設置ができた。今日は何なんだろう、朝は涼しく、ぴったりの材料が手に入り、仕上げも見た目も上出来だった。たまにこんな出来事もある。それは研究に似ている。研究のテーマそのものは、どこかいつも気になっている。それが水中の泡のように表面に浮かんでくる。そしてそれに取りかかろうとすると、待っていましたと言いたいほどの資料や先行研究などが浮かんできたり、探し当てたりする時がある。まるで磁石のように、その研究の遂行に必要な材料を引き付けるのである。それは偶然かもしれない。今日の仕事も偶然にできたのだが、非科学的だが必然のような気もする。稀なことだが誰でもそんな経験があるだろう。そんなことを考えながら、新聞の花壇や俳壇を探してみたが、都合の良い句はなかった。そうだろう、それでいいのだ。あればそれは偶然であり必然ではない。文脈は全くないが新聞に、さやさやと風とたはむる植田かな(田辺英男)の句があった。自分の地域には田んぼはないが、今の季節には、田んぼは一面の水に覆われて、苗が規則正しく水の上に顔を出している。風が吹くと、さやさやと苗が揺れていて、その風情は初夏なんだなという思いを抱かせる。こんな光景を見たら、きっと心が安らかになるに違いない。人は自然に触れると、故郷に戻ったような気がするのは、それが必然だからだろう。今の季節に田んぼに水がなかったら無惨であり、悲しい気持ちになる。自然とは、必然に従って流れゆくことである。だから今日の自分の仕事は、偶然ではなく必然だと思いたくなるのは、仕事の手順が、上流から下流に向かうような自然な流れだったかもしれない。
