布を針で縫う

今は火曜日の夕方、いつもの通り書斎の窓から外を見る。あまりの暑さに窓を白いカーテンをして日光をふさいでいるが、隙間から見える南の空は夏空である。暑くても青空を見ると、どこか嬉しくなるような気がする。これはその時の気分によって違って、夏が来ないのに、この暑さかとゲンナリする場合もあれば、夏休みのようなものだから、気楽に行こうと考える場合もある。自由業の身になって、スケジュールをいろいろ変えてみた。スポーツジムは土日だけにしていたが、平日もいいではないかと思って週3日に変更した。平日プラス土日なのだが、今週はあいにくと土曜日が終日審査の仕事が入っている。では今週は火金日にしようと手帳に書き込んだ。手帳に書くとそのまま実行したくなるのが自分の癖で、半分真面目のような半分融通が利かないような性癖であるが、今日はそのジムに行く日であった。午前中は学校訪問があって忙しく、昨日は静岡に出張があって午後はつぶれた。明日からも午前中はすべて学校訪問が入っている。このようにそれなりのスケジュールはあるのだが、今の心境はどこか気楽さがある。これが自由業の真髄なのだと言いたいところだが、そうでもない。準備ができていないと気持ちは焦り、準備が出来ていれば鷹揚に構えることができる。今日ジムに行ったのは時間的な余裕があったからで、自分の殻を少し破りたかったという意思も働いた。それよりもスポーツをすると気持ちが前向きになることは確かで、まあ何とかなるだろうと今はそんなことを考えている。今日の午前中は小学校の家庭科の授業参観をした。布を針にかけた糸で縫うのだが、子供の様子を見ていると面白い。どの授業でも、自分は授業者の先生向けに1600文字のコメントを書いて送っている。今日はその一部を引用しよう。「さらに布を縫う方法にも、いろいろな工夫があることがわかりました。はじめはお手本通り、表から裏に針を通して、布をひっくり返して裏から表に針を通すやり方を繰り返していました。次のレベルになると布をひっくり返さなくなりました。ひっくり返さなくても裏から針を突き刺せば表からも見えるからです。さらに別の子供は、表の布に小さな山を作り表の針を通す点から次の点までを、その小さな山を突き通すような方法で縫っていました。これには自分は驚きました。素晴らしい技でした。たぶんこれは何度も同じ操作を繰り返すうちに、気がついたのではないかと思いました。したがって、この方法をはじめから教えては、学びになりません。繰り返すことでより優れた方法に気づくこと、これがこの単元の狙いではないかと思いました。」この文章を見ればわかるように、自分は子供から教わることが多い。授業を参観して思うことは、同じことの繰り返しを通して気づくと書いたが、実はそれは同じことではないのだ。少しでも前に進みたいという潜在的な力があるから気づくのだ。子供たちはロボットではないから、全く同じことの繰り返しは耐えられないはずである。前に進みたいことが人間の本姓なのだと思っている。文脈は離れるが新聞に、夏野菜の無人販売所まで行けばたっぷり汗かく夏日となりぬ(柴田和彦)の句があった。情景が眼に浮かぶ。新鮮な野菜が欲しいという気持ちだけではなく、どこかしっかりと汗をかいて、夏日に身を任せたい、野菜のおいしさと共に、太陽からも恵をもらいたい気持ちがあったのはないか。自分が今日スポーツジムに行ったのも、そんな気持ちであった。平日にジムに行くのも、同じことではなく年相応に前を向いて変えてみたいと、心の中で思っているからだろう。布を針で縫う子供とどこか似ているかもしれない。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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