休暇

今は土曜日の夜だが、自宅ではない。あまり詳細を書くのが憚られるが、今中国の大連のホテルにいる。別に隠すことでもないが、26日木曜日から29日の日曜日まで休暇をもらって観光旅行に来ている。正しくは土日は休日なので、2日間だけの休暇である。何故かと問われても、ブログで説明するほどのものではない。自分としては一段落がついたのだ、ようやく自由業の立場になったのだ、家内と老夫婦でパックツアを申し込んでやってきた。考えてみれば、自由業の身であれば、休暇を取るという概念自身が存在しない。そのせいか、初日からどこか調子が合わない。第1に成田空港の到着時間が少し遅れた。事情は書かないが気にするほどではない。中国への入国カードの記入箇所を間違えた、これもたいしたことはないが、何故だろうと思った。何度も経験しているのにと思っても、どこか歯車が違っているようだ。26日に到着してすぐに観光バスに乗ってと、お決まりのコースは特に問題はないのだが、予報に反して連日小雨が降り続いたのは、どこかおかしいと思った。そして、初日から参ったと思ったのは、うろ覚えに知ってはいたが、LINEとGoogleとYahooがつながらないことだった。Gmailが読めない、書けないことは、正直に困った。家内は、家族とLINEで連絡できないことがショックだった。何のために旅行にきたのだろうか、と小さな後悔もあった。Gmailで来た重要なメールの相手は誰かをメモして、outlookで返信した。しかも初日の夜はナイトツア―のオプションに申し込んでいたが、傘を持たなかったので、それなりに濡れた。初夏とはいえ、少し寒かった。このすれ違いは、何故なのだろうかと思いながら、初日は疲れがどっと出て、シャワーも浴びずぐっすりと寝た。翌日も小雨だったが、ぐっすり寝たことと、どうもがいても繋がらないことは、国家規制なのでどうにもならないと思ったら、天気も気にならなくなった。バスの中に読みたい小説を持ち込み、ホテルの空いた時間には、専門書を持ってきてそれなりに読んだが、どうにも睡魔が襲ってくる。もういいではないか、自由業のお祝いだというのに、何をじたばたしているのだ、なすがままの気持ちになって、今日になった。ようやく心が決まったのか、物事がスムーズに流れていった。観光も食事も土産もショッピングもすべて予定通りになった、そして初めて観光客の気分になって、皆さんに打ち解けた。旅慣れた人達ばかりで、我々は聞き役だったが、それは誠に居心地が良かった。そして、メールを読まないこと書かないことの素晴らしさを、始めて体験した。家内も子や孫たちのLINEにアクセスできなくても、どこかさっぱりしていた。自分の思い過ごしなのだ、なくてもなんとかなるのだ、そう思うだけで、仕事から離れて、皆さんと物見遊山に夢中になれる。メールが読めないと思うだけで大変なことになると、自分で自分を縛り付けているだけなのだ、そんなことは捨ててしまえばよい。自分も家内も一つ勉強した。文脈は離れるが新聞に、デパートの服の売り場をあちこちしふとよぎりたる余命の意識(飛田多恵子)の句があった。説明は要らないだろう。今の自分の状況に似ている、このとおりだと苦笑した。私的な旅行に来てまで仕事がどうだというのは、若い時にすることなのだ。今に自分がすべきことは、古い服でもさっぱりと洗濯をして、型は古くても、それなりに味のある服を着ることなのだ。そう思えば、なにも怖いことはない。自分なりの生き方をすれば十分である。老夫婦が、他の皆様に交じって観光ができるのは有難いことで、今はそこに夢中になればよいのだ。ただブログだけは、Googleに関係ないようで無事に書けた。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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