今日は火曜日の夕方、いつものことながらこの時間になると、書斎の窓から空を見上げる。先ほどまで小雨がぱらついていたが、今は曇り空一色である。夏至が終わって間もないせいか、夕方といっても日が暮れるのは遅く、大人はまだ仕事をしている時間なのだろうか。いつもの通り午前中は仕事をして、午後は歯科医院に行ってきた。たまにどんな仕事をしているのだと聞かれることもあるが、決まった内容ではないので答えるのが難しい。今日は、2週間ぐらい先の研修会で話す資料を作成していた。昨日の午前中は、市役所と警察署に行ってマイナンバーカードの更新と運転免許証の更新をしていた。警察署は大変に混んでいて、予定が大幅に遅れてしまった。どうも月曜日の午前中は免許証の更新で混むらしい。土曜の午前中は、雑誌の編集後記の原稿を書いていた。こんな風に決まっていないのだ、というより自分は手帳の予定に従って行動している。資料作りとか学校訪問とか、誰でも同じだと思うが、すべて手帳に書き込んでいて、その通り実行している。その通りは厳しいので、なるべくと言い換えておこう。例えば小さな庭でも今の時期は、雑草がどこもかしこも遠慮もなく無造作に伸びているのを見ると、草取りをしようという気持ちさえ起きない。ただ手帳に書いてあると、とりあえずやってみようという気になる。まるでロボットのようなものだが、手帳に朝の草取りとメモしてあるので、その通り実行した。早朝はまだ涼しいので、体が動き今日は朝から良いことをしたなどと自己満足するのだが、年をとるとそのツケが午後になって回ってくる。簡単に言うと、昼食を取った後眠くなるのだ。これも仕方がない。寝苦しいので夜クーラーをつけるせいか、喉がやられ咳をしながら多少熱っぽい体で朝6時前に草取りをすれば、爽快かもしれないが疲労が蓄積するのだ。夏風邪がなかなか治らない。これは自分だけでなく家内も近所の人たちも似たようなもので、今時の異常気象は体にこたえる。それでも昨日はマイナンバーカードと免許証を更新したので、どこか体がちゃんとしたような気になった。カードを見て10年間も使えるのかと、びっくりした。顔写真などまるで変わっているだろうに、などと要らぬ心配をしたが、身分証明書なのでこれがあれば怪しまれずにすむ。今日の歯科医院は初めて行った。これまでは虎ノ門にある歯科クリニックで馴染んでいたのだが、もう都心に行くこともあまりないだろうと思って、所沢市内の歯科医院を探したのだ。評判なども大切かもしれないが、自宅から近いことが条件で、駅の近くの歯科医院を決めたのだ。電話で予約はしていたのでスムーズであった。実は病院や医院などで、健康保険証は使ってもマイナンバーカードは1回だけしか使ったことはなかった。受付の方がマイナンバーカードでどうぞと言われたので、昨日更新したばかりのカードで受付を済ませた。どうもこの歯科医院は、健康保険証はあまり好みではないような口ぶりであった。都会ではないのにデジタル化に対応しているのかと思ったのだが、今日の会計はという時に、現金しか使えませんと言う。カードがダメなのかと思ったが、出かける時に家内から忠告を受けていた。財布に現金は入っているね、と言われたのである。なるほどこういうことかと納得した。マイナンバーカードと現金かと思っただけで、別に不平を言ってるわけではない。現金は小銭がジャラジャラするのが嫌なだけであって、お金に変わりはない。次回の予告をする時、自分は紙の手帳を取り出してメモした。手帳は断然アナログ派である。実際には両方を使っているが、手帳の肌触りや書き込んだフリクションインクのかすれなども好きなのである。マイナンバーカードを見て、これから10年も付き付き合うのかと思っていたら新聞に、更新のマイナカードのわが写真晩年の母に出会ふがごとし(高山克子)の句があった。そうかこの作者は母親似なのか、マイナカードを見るたびに亡くなった母親を思い出すのかもしれない。ただ自分を振り返ってみても、そこに自分の父親を重ねることはできない。親子といえども、別々の人生であり別々の価値観を持ち生きてきたはずである。話をしなくても写真を見なくても、どこが心が通じ合うのだろう。言葉や写真などで表現しなくてもよいのだ。陰でじっと見守ってくれているだけで、そう思えるだけで、安心できる。マイナカードが10年とはなんと長いのだろう。次の更新はできないだろう。それまではこのカードと仲良く付き合っていこう。
