今は土曜日の夕方、といってもこの時期は昼間が長く、日が暮れるという感覚が薄くなっている。いつもの通り2階の書斎から空を眺めているが、小雨が降っている。これもいつもの通り、土日の休日はスポーツジムに通っている。午後2時ぐらいに自宅を出て傘をさしながら、徒歩15分ぐらいの距離にジムはあるが、風が強くて傘を半開きにして前に突き刺すような恰好で歩いた。帰りはそれほどでもなかったが、近頃の気象状況は予想がつかない。午前中は買い物などの雑用もあって、その間に読んでおきたい論文に目を通した。海外の論文なのだが、最近はありがたいことに日本語に翻訳してくれるので理解しやすい、と思ったのだが、大間違いであくびが出て仕方がなかった。図表もない論文誌の要約集のような内容だったので、時間がかからないのでありがたいと思ったのだが、期待が外れた。あくびが出るのは、もう1つ理由がある。昨日大阪で対面のセミナーがあって日帰り出張した。なるべく早く帰ろうと思ったのだが、自宅には午後10時前に着き、それから夕食を取ったので寝不足だったのである。それから昨日大阪行の新幹線の中で、880ページもある日本語訳の本を持って読んだのだが、正直言うとあまり頭の中に入らなかった。興味はあっても脳がついていかない。しかし多少言い訳になるが、昨日も今日も翻訳本なのである。日本語訳だからと思っても、内容は理解できると思っても、あまり面白くないのだ。なるほどそうかと膝を叩くような感覚が起きてこない。自分の能力のなさもあるが、翻訳だと本質的な面白さが伝わってこないのかもしれない。それならば原文を読めばいいではないかと思われるかも知れないが、膨大な時間がかかるし、自分にそれほどの英語力もない。時間の経済性と理解の深さはどうも反比例するようだ。そんなわけで、あの膨大なページの日本語訳の本は、半分くらい読んだが、気持ちの上では、残りは止める方向に傾いている。翻訳本ではなく日本人の書いた同類の本はかなり知的で面白かったので、同じかと思っていたが違っていた。研究も文献調査も、著者が最も主張したい1つのストーリーが分かればそれで充分なのだ。ただそれが分かるためには、それだけでなく余計な時間がかかる。つまり木の幹があって大枝があってそこから小枝が出て葉っぱがあり実が出て花が咲くとすれば、読者は木の幹を知りたいのだが、それだけを読んでも理解できない。葉っぱや実や花などの本質でない部分も合わせて読まないと面白さがわからない。多分分かるけど面白くない。だからあくびが出たり居眠りをしたくなるのだろう。大阪に出張した疲れや寝不足だけのせいではないと思う。そんなことを考えていたら、少し面白くなってきた。文脈は離れるが新聞に、失敗の中に得るもの更衣(ころもがえ)(池田雅夫)の句があった。我が家も衣替えで先ほど家内から、クリーニングに出した冬物のジャケットがあるので2階のクローゼットに運んで、と言われた。今は冬物と夏物の洋服の入れ替え時である。洋服にもいろいろな思い出が詰まっている。クリーニング屋で、ビニール袋に包まれてきれいになった冬物は、来年まで休眠に入る。今日のような専門書や論文を読んでも、面白くないこともあれば文字通り知的興奮をするようなこともある。それらをすべて包み込んで前に進んでいくのだろう。この俳句のように、失敗の中にも得るものがある。分かることと面白いことは違う、それは翻訳のせいなのか別の原因なのか、それを追求するのも面白かろう。それが分かれば、生成AIの特性も分かるかもしれない。今朝読んでいたのは、生成AIと教育の論文だった。
