探し物

今は火曜日の夕方、書斎の窓から見る空はグレイ一色で、小雨がまだ降っている。今日は朝から雨が降り続けて、昼間はそれなりに雨が降って、少し肌寒い一日だった。昨日はあれほどよい天気だったのに、この頃の天気は急速に変化して寒暖の差が大きいので、体調を崩す人も多いだろう。昨日は市内の研究指定校に行って講義をしたり、いろいろな雑用で外に出ることで一日が終わったが、今日はデスクワークがほとんどで、外に出たのはクリニックに行って薬をもらったことと、整体院で体をほぐしてもらったことだけだった。一日中雨で家の中に閉じこもりだと、どこか憂鬱になると思うかもしれないが、そうでもない。やれることをやれるので、それなりの楽しさがある。先ほどまで小さな原稿を書いて出来上がったから、どこか充実感がある。どんな小さなことでも良いので、クリエイティブなことをすると喜びがある。それは十枚の原稿でも一枚でも量には関係なく、どのくらい自分の能力が生かせるかに依存している。原稿は、自分のためのものではなく、いずれ他人の目に触れるものなので、それは絶えず意識している。今日は一ページだけの原稿だったのだが、クリニックに行って薬をもらっている間、あーでもないこーでもないと考えていたので、品の良い患者ではないだろう。かなりの雨が降っている中を傘をさして、自宅に帰っている途中、ふとアイディアが湧いてきて、それでいこうと思った。帰宅して、お薬手帳に紙を貼り付け、その後すぐに資料のチェックと原稿を書いた。そのアイディアはブログで書いても伝わらないのだが、自分が見聞きした学会での研究発表だった。確かここにあるはずと思って探すと、こんな時にはなかなか見つからない。イメージは鮮明に頭の中にあるのだが、アクセスするのは難しい。しかしこんな時には執念が勝つ。2つの発表資料にアクセスできて、待ち人に会えたような嬉しさで、これこれこれだよ、と独り言を言いながら、その文献を引用して先ほど原稿を書き終えた。昔、学生たちに言っていたことを思い出す。どんな小さな研究でも、それは自分の子供のようなものだから、ちゃんと服を着せて人前に出すのだ、自分の中で閉じこもっていたら何の役にも立たない、などと言っていたが、今も同じ気持ちでいる。人前に出すのだからちゃんと着飾ってやろうと思って、文献を探していたらぴったりサイズの服が見つかったような気持ちだった。新聞に、忽然と失(な)くせし指輪でてきたりほんにうれしよ今日といふ日は(出水美智子)の句があった。この作者の気持ちはよく分かる。見えなくなった指輪は、待ち焦がれた人なのだろう。いつも指につけていたから、それがなくなると、どこか指が寒いような力が入らないような感じだったが、思いがけず見つけた。長い間会えなかったが、ここでようやく会えたという感じである。自分の文献探しも似ている。ようやく会えた、これで人前に出せるという喜びがある。考えてみれば小さな小さな出来事だが、事の大小は問わず、嬉しさは同じである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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