今は火曜日の夕方、いつものように書斎の机に向かって、パソコンの画面を開いている。南向きの窓から、雲ひとつない青空が広がって、西日がマンションや住宅などを照り付けている光景が見える。今日は特別の天気だろう。自分の住んでいる地域も30度を超えた。夏真っ盛りと間違う5月である。先ほど市内の中学校で3校合同の運営協議会があって、戻ってきたばかりで、久しぶりに書斎のエアコンを冷房にして、夏の下着と夏のズボン下をはいて、まるで夏休みのような格好で机に向かっている。子供の頃は誰でも夏休みが大好きで、家の中では子供も大人も、今と同じような格好をして暑さをしのいだ。当然ながら昔はエアコンもなく、窓を全開にして風を頼りに団扇で涼を取っていた。自分が子供の頃は、そういえば蚊帳を吊っていた。蚊取り線香も焚いていたので、寝苦しい夜をそうやって過ごしていたのだろう。自分が生まれ育った土地は海に近かったせいか、夏休みはよく海に行って友達と泳いだ。小学生でも先輩後輩は厳しく、先輩は我々を海に放り投げ、沖の方まで先輩が先を泳ぎ、我々はアップアップしながらついていった。そしていつの間にか泳げるようになった。自宅から海まではそれなりに距離があったので、泳ぎの疲れと往復の歩きでヘトヘトだった。その時の自分の大好物は、らっきょうだった。甘酸っぱい食感は、腹ぺこぺこの子供にとっては極上のおいしさだった。あまりにも食べ過ぎて、よく母親に叱られた。今日のような夏の暑さに出会うと昔を思い出す。それは映画の三丁目の夕日と同じ昭和の時代であった。みんな貧しかった。そういえば下駄を履いて登校していた時もある。パソコンやタブレットが1人1台の学校風景とは、全く違っている。自分がまさかGIGA端末を活用する授業について、学校訪問したり研修したり学生に講義をしたりするとは、夢にも思わなかった。今日の運営協議会の内容は、どんな子供を育てるか、どんな能力を身につけさせるか、地域や家庭でどう見守っていけばよいか、など基本的には昭和の時代と変わっていない。デジタル環境の変化は急速であるが、教育の本質は変わらないのかもしれない。今日の協議会の会場は中学校で、短い時間だったが授業参観があった。3年生の授業は京都への修学旅行の計画作りであった。もちろんタブレットを活用しながら計画を作っていたが、遠い昔の宿での枕投げを思い出した。まだ世の中のことを何も知らずに過ごしていたのだろうが、どんな時代でも、子供は子供なりに、小さな喜びと小さな不幸がやってきて、嬉しかったり悲しかったりしていただろう。文脈は離れるが新聞に、廃校に燕少女は母となり(山口誠)の句があった。少女が昔通っていた学校は廃校になってしまった。その学校にはツバメが巣を作ってよく飛んでいて、親ツバメが子に餌をやっていただろう。その学校の子供たちは、そんな情景を何度も目にしていた。そしてその情景は、廃校になった今でも同じなのである。何十年か後、少女は母となった。あの頃の同級生は今何をしているのだろうか。もちろん父や母になり、爺と婆になり、やがて往生していくのだろう。学校や人間は時代と共に変わっていくが、生物や自然は緩やかで昔と変わらぬ情景を見せてくれる。
