今は火曜日の夕方、いつものように書斎の南側の窓から外を見ると、雲一つない晴天で初夏のような風情である。最近の天候の変化は急激で、小雨が1日中降っているかと思えば、今日はどうなっているのか、真夏かとでも言いたいような天気に変わる。昨日は都内に出かけた。今日は市内で仕事をした。事情は少し込み入っているのでブログでは書かないが、都内の事務所に置いてある自分のパソコンを、自宅に持ってきた。少し愛着があるのだが、表面が青色のLetsNoteである。この機種は誠に優れもの、操作はしやすく、頑健で可愛らしさもあり、キーボードも扱いやすい。多分大学関係者には最も使われているのではないかと思う。自分も大学に勤務している時は、ずっと愛用していた。ところが大学が終わって団体役員になると、組織からパソコンを提供される。それは嬉しいような嬉しくないような、ありがたいような傍迷惑のような微妙な気持ちであった。ただ使わないわけにはいかないので、LetsNoteとはそこから縁が切れた。それでも未練があったので、LetsNoteを自宅から職場に持っていった。だがパソコンのスペックも次々に進化していくので、いくら優れているとは言え、古いスペックでは演算速度が遅く、アプリの起動も時間がかかり、老兵はやはりだめかと思って、事務所の自分のボックスに放置したままになっていた。自宅では3台のパソコンがあり、これ以上持って帰っても起き場所がない。正確には5台なのだが、2台はほとんど使っていないので、かわいそうだが放置したままである。そこに古びたLetsNoteを持ってきてどうするのだ、意味があるのかと自問しても、理由は定かでない。ただ自宅で綺麗に磨いてアプリやらファイルやらをすべて削除し、出荷状態の状態に戻したいと思ったのだ。そうすれば少し元気になるかもしれない。古くてもバッテリーの持続時間は素晴らしく、スピードが速ければ今でも使いたい気持ちである。だがそれは老人のノスタルジアにすぎない。結局、本箱のどこかに飾っておくしかないだろう。それは自分が大学で仕事をしていた時の相棒だからである。バージョンは違っても、歴代この機種で研究をし、仕事をし、学生を指導してきた。なぜこの時期なのだと言われても、なんとなくとしか言いようがない。歳を取ってきて、古びていくモノへの愛おしさなのかもしれない。今日は午前中は市内の中学校の評議員会があり参加したが、そこで国語の授業で枕草子の「春はあけぼの」から始まる文章を、生徒たちが読んでいた。その時千年以上も昔、春夏秋冬をこのように詠んだのかと思うと、清少納言の気持ちに触れたような気持ちになった。たぶんそれは今の年齢だからだろう。文脈は離れるが新聞に、オーブンの中拭き上げて桜時(夏野あゆね)の句があった。久しくオーブンの中などきれいにすることはなかっただろう。ただ汚れてしまったオーブンを、この作者は無性に拭いて磨いてみたかったのか。外が桜で美しく咲き誇っている時、それがこの作者の気持ちを揺り動かしたのか。そうかもしれない。自分もなぜ古びたパソコンを持って帰って、磨いてみたくなったのか。季節の変わり目の時期だからなのか、あるいはそこに老いていく自分の姿を見たからだろうか。歳を重ねるということは、別の見え方や感じ方をするものなのか。
