生成AI

今は土曜日の夕方、南向きの窓から見る空はまだ明るく、しかも雲ひとつない快晴である。しかし昨日は午後から夜にかけて途切れることなく雨が降って、外に出ることができなかった。昨日の午前中は学校訪問があって、曇り空なので助かったが、午後は家に引きこもるしかなかった。しかし自分にはそれはちょうどよい原稿書きの時間になった。どんな原稿だと言われそうなので、このブログでは書かないが、自分の密かな楽しみである。昨日の午後は、時折1階に降りて庭から空を見たり、玄関から道路を見たりしながら、頭をリフレッシュした。今日は大型連休の初日なので、この天の恵みのような快晴で、行楽に出かけた人にとっては嬉しかっただろう。自分たちは連休中はどこにも行かないと予定を組んでいるのは、毎年のことである。どこに行っても人で混雑するので、書斎かスポーツジムか庭の草取りか雑用や市内での買い物かなど、することは決まっている。自分が楽しいのは、書斎で好きな仕事をしている時だろう。といっても、仕事にもいろいろあるので、自分の気に入った内容だけで、残りは雑用の分類に入る。今日も縦書き原稿で文章を作成していたら、どうしてもわからないことが出てきた。もう長い間オフィス系のアプリは使ってきた。それは誰でも同じだろうが、あまり慣れていない体裁については、素人同然でどうしてもうまくいかない。困ったどうしようかと思って、Google検索で調べたが、何か自分の質問が検索サーバーに伝わってないような気がして、何度も何度もやり直した。最後は腹が立ってきたのだが、ふと思いついた。そうだ生成AIを使えばいいではないかと思って、geminiとcopilotを使って質問してみたら、見事な答えが返ってきてすぐに解決した。なるほどこういうことなのかと納得した。Google検索も膨大なデータを蓄えていて、そのデーターから適切な回答を検索して提示するので、生成AIとそんなに違わないのではないかと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。その一つは、多分まるで人間に話しかけるように自然言語で質問をして、そしてまるで人間のような回答する、その自然言語のインターフェースが優れているのではないかと思った。検索は基本的には単語レベルなので、質問者の微妙な問いとはギャップがある。検索は外国人と片言の言葉の並びで会話しているようなもので、生成AIの方はネイティブの同じ国籍の人たちの会話のようだ。それで縦書き原稿のいくつかの修正ができた。今日は、学校で勉強する中学生のように、これを教わった、これはたぶんこれからも役立つだろう、と思って得をした気分になった。単純なことだが、わからないことが続くと、好きな仕事でもどこかで飽きがくる。1階の居間に行って気分を晴らしたとしても、解決できない。生成AIは、優秀な家庭教師か万能の知識を持っている専門家なのだろう、教えてくれれば人間の先生であろうと人工知能であろうと何でもよいのだ。前に進めていけない自分を手助けしてくれる人は、優れた先生であり優れた医者であり頼れる博学者である。新聞に、歌づくりを始めて知りし風の名に東風(こち)吹きたれば春のたのしき(武井緋彩)の句があった。この作者は曖昧な言葉や意味の分かりにくい言葉は、ネット検索か、いや生成AIか、で調べるのかもしれない。そして新しい知識が増えていく、それは何にもまして嬉しく、自分が成長したかのような気持ちになるのだ。今日の自分のように、学校で勉強する中学生のような気持ちだろう。大人になると誰でも、学校でもっと勉強すればよかった、もったいないことをした、学校は桃源郷で、静かで平和で、そして知識を授けてくれるこの上ない理想郷だったと述懐する。いや物理的な学校に行けなくても、この作者のように新しい知識を得ることの楽しさは、いつでもどこでも誰でも体験できることなのだ。そう思えば、インターネットや生成AIなどの知識の宝庫に囲まれている現代人は、幸せなのである。ただし使い方によっては光にもなり影にもなることは、指摘されている通りである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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