今は火曜日の夕方、先ほど市役所で教育委員会の会議に参加して帰ってきて、その後書斎でメールなどをチェックしていたら、すぐに1時間ぐらい経ってブログを書く時間になった。午前中は市の教育センターに協力して、学校訪問が始まりコメントを書いていたので午前中はこれで終わった。今週から出かけることが多くなり、あっという間に時間が経ってしまう。4月からは自分の時間が取れると思っていても、現実はそんなに甘くはなく、サボってはいないのに予定通りに事は進まない。などと誰でも似たような言葉を吐くだろう。それは年度初めの仕事が始まった証拠である。そういえば若い頃からずっとそんなことを言いながら毎日を過ごしてきたのか、あまり振り返る余裕もなかった。振り返る方が良いのか進んでいく方が良いのかよくわからないが、目の前にあるものをとにかくこなしていくことは、時間はとりあえず横に置いているので、気づいた時には時間が経っている。だからあまり悩む暇もないのかもしれない。今週は忙しいが、講演等では準備不足なので不安である。自分は紙の手帳を愛用していて、やるべきことをメモしているが、なかなか予定通りにいかず、この仕事を次の日になどと変更する時には、矢印をつけているので、ごちゃごちゃの手帳になっている。しかし自分には愛着があって相棒と呼んでも良いだろう。年が改まっても自分の足跡が残っている手帳を捨てるには忍びず、本箱に多分40冊以上並んでいる。過去の年度を振り返って手帳を見返すことは一度もないが、確かにこれは自分史の記録である。多分読めばいろいろな思い出が蘇ってくるだろう。当たり前だが思い出は過去である。いくら手帳を見ても過去は過去、誰でも今しか生きることはできない。すると今を充実させるしか方法はない。午前中の学校訪問した後の授業のコメントは、自分では精いっぱいの内容で、それ以上のことは自分の能力を超えている。教育委員会の市役所での会議でも、自分が納得できる発言をして自分の役割を果たしたと思っている。だから結果は分からないのだ。授業のコメントがどのようなインパクトがあるのか、会議での発言が全体にとってプラスだったのかマイナスだったのか、わからない。ただ書いたり発言したりしている内容は、自分で出来るすべてなので、自分にごまかしがないので、自分にこれでよしと言い聞かせている。文脈は遠く離れるが新聞に、ブルー・ライト・ヨコハマ春を惜しむかな(杉山太郎)の句があった。何の脈絡も無いのだが、そういえばこんな歌が流行ったなあとか、横浜の「みなとみらい」でいろんなイベントがあって出かけたとか、あの時は夢中だったなあとか、色んな思い出が湧いてくる。亡くなった歌手のいしだあゆみさんも精一杯頑張ったのだろう。この歌のタイトルを聞くだけで、洒落た街並みを思い出し、ワクワクしたイベントで講演したり、お昼にパスタを食べたり、そんなちょっとしたことを思い出す。春真っ盛りの今の季節は、横浜とか港とかイベントとか異国情緒のある洒落たレストランとか、若者が好む時なのかもしれない。自分は別にその時に戻りたいと思っているわけではなく、相変わらず何をあくせくと思いながらも、今週もいろいろなイベントで、年寄りなりに頑張っていこうと思っている。
