トランプ劇場

今は土曜日の夕方、今日は春らしい天気、よりも、もはや初夏と言う方がふさわしい天気だった。書斎の窓から見る景色は、青空の下でマンション群が静かにたたずんでいる。4月は暇な月だとこのブログでも書いているが、実際はあっという間に1週間が過ぎてしまう。今週もいろんなことがあって、入学式の参列や所属団体の役員の交代の面談や市内の学校訪問予定の会議などがあって、新年度が始まるのだと実感している。こんなに良い天気なので、スポーツジムに行ったのは当然だが、お昼に庭の雑草取りをした。冬の季節は草木も隠れているかのように枯草色で目を引かなかったが、4月に入ったら急に緑色があちこちに目立ってきて、手を入れないとと思って、こ数日雑草取りや鍬を持って小さな畑を耕した。この気候だと汗びっしょりなる。先ほどスポーツジムから帰って来たばかりだが、畑仕事とスポーツのせいで、我が家の庭で採れたグレープフルーツが殊の外美味しかった。昔の人は畑仕事も歩くことも多かったから、よく働きよく足を動かしたので、野菜や果物が今の時代以上に美味しく感じて、自然の恵みに感謝しただろう。ほとんどの食料品はスーパーなどで買うので、自然の恵みなどはほとんど意識しない。先ほども夕食後のちょっとしたつまみが欲しかったので、スーパーに行ってカードで支払いをしてきたが、本当に便利な世の中になったと同時に、お金がすべてかと思わざるを得ない。それも現金ではないので、数字の世界で物事が片付いていくのである。しかし物事は表と裏があるから、昔は車がなかったので、よく歩いて健康だったのではないか。一般家庭でも自宅の庭で採れた野菜などを食卓に並べていたから、新鮮な味を楽しんでいたのではないか。最近は自分もなるべく車に乗らないで歩くこと、そしてスポーツジムに行って体を動かすことなどを心がけている。それはお金では手に入らない大切な健康を維持しようとしている、あるいはお金を出して昔のような健康的な生活をしようとしているとも言える。教育に関わる仕事をしていると、お金ではない、もっと大切なものを求める気持ちが強い。アメリカのトランプ大統領の考えは、教育とは真逆である。お金とか財産とか、それが何の意味があるのかどうしてもわからない。トランプ劇場は悪役が主役の物語なのか、それは世界の大勢の人々に不幸をもたらしているのではないか。文脈は離れるが新聞に、たんぽぽやペン先つくる町工場(斎木百合子)の句があった。こんな小さな町工場にも、今回の関税処置によって影響を受けるのだろうか。暖かい春の日に身を委ねて今の小さな幸せが続きますようにと、町工場の人たちも、いや日本中の人たちがそう祈っているに違いない。まるで江戸時代の悪徳代官が、自分たちの贅沢のために農民たちから年貢米を取り立てる大衆演芸のようなトランプ劇場である。これが芝居小屋ではなく現実なのかと思う時、政治のことは素人ながら、どこか世界が綻びかけているような気がする。人はもっと賢い動物だと思っていたが、まさか現代に素人が演じる大衆演劇を目の当たりにするとは思ってもみなかった。頭の良い人たちが国を動かしているはずである。ならばもっと品の良い立ち振る舞いをしてほしい。人は共感したり感銘を受けたりする時に大きな拍手を送るのである。この劇場では誰も拍手を送らないだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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