聞き上手

今は火曜日の夕方、いつものように書斎の南側の窓から景色を眺めると、小雨が降っている。天気予報によれば、午前中はみぞれ混じりの雨降りだと報じていたが、その通り外は寒かった。朝8時半に自宅を出て、3か月に1回の眼科クリニックに検査に出かけた。年をとると体に少しずつほころびが出るので、内科と眼科と歯科には上記の回数で出かけている。それでもこの程度であれば、良しとしなければならない。加えて毎朝、尿酸値や血圧などの数値を下げるための薬を飲んでいる。これも誰でも飲んでいるだろう。健康を維持するには、スポーツをするだけでなく医者にも助けを求めなければならない。幸い眼科の検査では前回と数値が変わっていなかったので、ほっとした。午後は2つの重要なオンライン審査があった。正確には、その結果の打ち合わせをする会議があったので、3つのオンライン会議だった。正直、精神的に疲れた。肉体的には何でもないが、気疲れの疲労度はかなり大きい。会議の内容はブログでは書けないが、自分にも所属する団体にとっても大変重要で、終わると文字通りふうと息を吐いた。その結果について、また自分の判断について、吉と出るか凶と出るか分からないが、なるほど責任とはこういうことかと思った。そうすると政治家は、なんと重い責任を背負って仕事をしているのだろうと、妙に感心した。ブログを書く前に1階の居間に降りて、家内に少し話をした。別に褒めてもらいたいわけではないが、こんな胃が痛むような仕事は嫌だけれどもなんとか乗り切ったよ、と言いたかった。いくつになっても気楽な時ばかりを過ごすことはできないのだ。そんなことは誰でも知っているし、よくわかっているが、世の中とはそういうものなのだ。映画では男はつらいよと言っているが、つらいのは男ばかりでなく女も同じである。世間ではいろいろなことが起きて、誰かに愚痴を聞いてもらいたかったり、褒めてもらいたかったりする出来事が多いのだ。だから聞き役は大切な役割で、聞き上手は話し上手より優れているのではないか。文脈は離れるが新聞に、ほめられた淡い記憶がほどけない母に編まれた三つ編みのこと(鈴木えみ子)の句があった。どんな子供も母親には何でも話すことができる。母とは天性の優れた聞き上手である。大人になっても年寄りになっても、母親がしてくれた優しさはいつまでも忘れない。昔このブログに書いた記憶に残る一句を思い出す。「母の日のゆるしてほしきことばかり」(根本理子)。本当に世の中を生きるのは難しいが、この句を読むと自分の至らなさに気がついて目が潤む。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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