中出来くらい

今は土曜日の夕方、いつものように書斎の南向きの窓から外を見ると、どんよりとした空と6棟が林立するマンション群が見える。今日はまるで冬に戻ったかのように気温も低く、気持ちまで寒々しくなるような景色である。と言っても今の心境はそうでもなく、久しぶりにスポーツジムに行って帰ってきたので、体のどこかに元気の源が点在しているような感じになっている。先週の土日はイベントでつぶれたので、2週間ぶりのスポーツジムだった。しかしこの天気なので傘をさしてスポーツ道具を背負って出かけたのだが、街行く人の数は少なく旧市役所の広場も誰もおらず、小雨が降り続いてコンクリートの広場をびっしょりと濡らしている。商店街の店先に置いてある自転車やバイクも雨に濡れて、どこか侘しそうなたたずまいであった。スポーツジムも人数は少なかった。それでも自分は下手なゴルフクラブを振り、プールで泳ぎ、屋外にあるジャグジーで雨にぬれながら顔だけ出して浸かっていた。冷たい雨で顔を冷やし、少し熱めの湯で体を温めていると、これも乙なものだと満足していた。今取りかかっている仕事があって、午前中にあーでもないこーでもないと言いながら、机に向かっていた。なかなか思い通りに進んでいなかったが、独り言のように、もう少し我慢してやってみようと自分に言い聞かせた。その呪文のような言葉が通じたのか、ふとアイディアが浮かんだ。それは雨の中でジャグジーに浸っている感覚に似ているかもしれない。誰もそんな酔狂なことをしていないからだ。辛抱するだの我慢するだの、もう今の時代には死語になりそうな存在だが、やはり大切なのだ。物事がうまくいかないとか、どうもしっくりこないとか、予想と違うとか、それは何か自分と対象物の間の仕組みに不自然さがあって、つながりにくいのである。午前中の仕事は小さなアイディアで、ちょっとしたことなのだが、まるで山中でけもの道に迷って、ふとしたことで確かな道に出たような感じであった。だから今日スポーツジムの帰り道は、体を動かして体内の細胞が新陳代謝をして新鮮な酸素を取り入れて元気の源をもらったせいもあるし、午前中のアイディアに気づいたこともあって、寒々しい光景であっても自分の気持ちは少しホカホカしていたのである。文脈は遠く離れるが新聞に、面接の出来はともあれ蓬餅(よもぎもち)(相川正敏)の句があった。大切な面接だったのだろう、上出来とは言わないまでも、まあなんとか乗り切れたのか、結果はどうなるかわからないけれど、終わった安堵感と満足感で、この美味しそうな蓬餅をいただこうと作者は思ったのだろう。仕事でもスポーツでも趣味でも上出来はなかなかできず、中出来くらいで満足することでよかろう。そうして自分にご褒美をあげればよいのだ。この世の中はそのぐらいで渡れるだろう。世間は鬼ばかりではなく、そのぐらいで認めてくれそうな気がする。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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