今日は火曜日の夕方、書斎の窓から見える空は、初夏のような淡いブルーで覆われていて、西日が近所の家の屋根を照らして、その反射光が輝いて見える。先ほど東方向の公園に向かってジョギングをして、帰って来たばかりである。ジョギングといっても若い人とは違って、ゆっくりとした足取りなのだが、帰宅すると汗びっしょりだった。食卓に用意してある我が庭で取れたグレープフルーツに、コーヒー用の細長い紙にくるんだ砂糖を少しふりかけて食べたら、ビタミンCが五臓六腑にしみこんだような気がした。年をとっても運動することは楽しく、そして健康維持に欠かせない。今日のような25度近くの夏を思わせるような気候では、体を動かせずにはいられない。その前まではオンラインの研究会があって頭を使ったので、それを払いのけるかのように、公園の方にゆっくり走っていった。公園の中はこの陽気のせいか、平日であってもそれなりの人たちがいて、犬の散歩をしたりキャッチボールをしたり、サッカー場ではホッケーのような試合をしていた。そうか平日とは言え、学校はもう春休みなのだ。暖かすぎる春の陽気に誘われて、幼児も犬も子供も大人もそして老人も家を飛び出してきたのか、誰もがどこか嬉しそうな表情をしている。そういえば自分も帰宅すれば、ブログを書いて今日一日の仕事は終わり、お風呂と夕食の時間になる。明日明後日は都内で仕事があって出かけなければならないので、それなりに忙しい。人間も生物であるから、春になれば心がワクワクし夏になれば活動的になり、秋には物静かになって冬には縮こまるような気持ちになるのだろう。もう3月も終末になり、来週には4月を迎える。今週いっぱいまでは忙しく、来週からは舞台が逆転する。来週には、書斎の机を西向きと南向きに囲んでいる棚に積み重ねている書類やら本やらを整理して、たくさんの紙を捨てなければならない。毎年やってくる大掃除である。またこの陽気のせいか、庭に雑草が目立ってきているので、草刈りもしなければならない。そして暇な時間がある来週から、計画している資料の作成にとりかかる。自分は手帳にその予定を書き入れているが、ほとんどは遅れるのだが、やるべきことはとりあえず処理できる。手帳を見て順調に事が進んでいけば、どこか嬉しい。誰も褒めてくれるわけではないが、口笛を吹きたくなる。「春よ来い」の歌のように、4月からが楽しみだ。それは自由であり自分のやりたいことができるからだ。今日のオンライン研究会で、不登校の子どもたちがメタバースでコミュニケーションする理由に、それは自由だから、他人のペースに合わせなくてよいから、自分の好きなことができるから、という分析をした研究があった。不登校の子どもたちは、むしろ他の子どもたちよりも、自分の考えを持っていて、それをやりたいという気持ちが強いのではないかと思った。今の自分は、都内に出かけたりイベントに参加して話をしたりするよりも、どちらかといえば自分の書斎でできる資料作成の方が好きだ。そうすると自分は、不登校の子どもの気持ちに近い。すると不登校の子供をそんなに心配しなくてもいいのではないかと思った。新聞に、おほよそが夫を亡くせる老女らの「あったかサロン」そのひとりわれ(田浦サチ子)の句があった。何やら楽しそうなサロンで、お婆さんたちが笑い転げる光景が目に浮かぶようである。世間から見れば少し可哀想な気持ちを持つかもしれないが、本人たちはいたって元気である。幸せの尺度が何であるかは他人にはわからない。それでよいのだ。
