ふれ合い

今は土曜日の朝、この変則的な時刻にブログを書くのは、今日の夕方に時間が取れないからで、これから都内に出かける。今日もイベントがあり、明日もイベントで日程は詰まっていて、3月いっぱいは自分たちの職種は忙しい。逆に学校の先生は4月からの新年度は忙しく、3月の終りは卒業式が終わって、春休みを迎える心やすらかな日々であろう。自分の経験でも、高校教師の時は今頃が一番気が楽で、春の陽気を体いっぱいに受けて、新年度を迎える準備をしたり、人事異動などがあると、それもどこか心がワクワクする。大学の場合は卒業式はもっと遅かったが、あまりセレモニーなどの形式にこだわらず、研究室単位で卒業パーティーとか謝恩会などをして盛り上がった。女子学生は和服などを着るから、実験をするときのジーパン姿とまるで違うので驚くことがある。今はそんな季節である。幸い昨日あたりから昼間は気温が高く、春の息吹を感じる。昨日も都内で会議があって出かけたが、駅のプラットホームなども若い人たちが大勢いて、どこか華やいでいる。先生方が時間的な余裕のある時期は自分たちは忙しく、先生方が忙しい時期は逆に時間的なゆとりがある。ただ4月のはじめは先生方も入学式前なので気楽だろう。これから良い季節がやってくる。昨日は自分が所属する団体の理事会だったので、代表という立場上気を使う。理事会が終わって緊張感が解ければ、ほっと一息つく。今日はこれから若い人達のポスター発表を聞いて、審査をしたり議論をしたり、最後は結果発表と審査講評をしたりという流れなので、多少非日常的な経験をする。それはそれで華やかで楽しいのだが、若い頃とは違った感覚が今の自分にはある。来年度の事業計画や予算などについて議論をする理事会は、硬い会議ではあるが、それはそれでどこか味がある。自分は司会役なのだが、最後は出席者全員に発言をしてもらい、人それぞれの意見に接すると、この団体を盛り上げていこうという気持ちが伝わるので、会議をやって良かったという充実感がある。硬い会議も華やかなイベントもそれぞれに意味があり、自分のような老人でも、まだそこに関われることを感謝しなければならない。昨日の夕食で家内と、色々なことがあっても、出かけるところがあり、書斎で仕事をすることができ、老夫婦2人で食事ができることを当たり前のように思っているが、本当にそれはありがたいことだ、と話した。ただ人はそれをすぐに忘れて、困ったことや思い通りにならないことの不平ばかりを言うようだ。文脈は離れるが新聞に、七画で一つの線もふれ合わぬ老いの孤独に「沁みる」という字(春日賢治)の句があった。独居老人は、この句のような孤独感を感じているのだろうと思う。自分がそのような境遇になった時、どうしていいのかは分からない。寂しさも、生きていく切なさも、心に沁みるのだろう。そして人から親切をされたり、にこやかに挨拶をされたりすれば、その喜びも人一倍に心に沁みるだろう。ということは、どんな境遇になろうとも、人は人と関わることでしか生きる力は得られないのではないか。自分は、昨日の昼間は働き盛りの人たちと、夕食では家内と、今日は若い人たちとふれ合って元気をいただいている。そんな生活がこれからも続くと良い。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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