今は土曜日の夕方、いつもなら書斎の窓から見える空も青空で、と書きたいところだが、灰色一色である。天気予報によれば、そろそろ雪が降る時間である。手元のスマホで確認したら、午後7時ぐらいから雪マークが横並びになっていて、真夜中からは雨になりそうだ。今日の最高気温が5度だと言うから、寒い1日なのだ。午前中は諸々の自分の仕事を書斎でこなして、午後からは先ほどまで、オンラインで学会の研究発表があった。だからずっと家の中に閉じこもっていて、外の寒さは肌では感じていない。研究発表を聞き終わってこれではいけないと思って、数分程度近所を散歩したが、冷たい雨が降っていて傘をさしていると、これは散歩ではない、早く家に帰ろうと思ったので、1分か2分の間外気に触れただけであった。ずっと仕事ばかりでは身体にも悪いので、居間に降りて家内と時々短い雑談をした。居間には食事用のテーブルの他に、ソファーと対のテーブルがある。応接セットである。どの家庭でも同じように、そこで新聞を読んだりせんべいを食べたりテレビを見たりする。しかし人間は長い時間はリラックスできない。新聞もテレビもせんべいも短い時間だから楽しいことを、経験的に知っている。テレビの面白い番組は例外だが、ただ見ているだけのテレビ番組は、何か脳のシナプスがだんだん切れていくようで、自分が自分でなくなるような気がする。それは少しオーバーではあるが、長い時間リラックスしていると、堕落しているという言葉は適切ではないが、天からそんな声が聞こえてきそうな気がする。応接セットは、緊張感をほぐす意味で作られている道具なのでそれで良いのだが、どうもピンとこなくて、家内と相談してテーブルを替えることにした。昨日家具屋さんが新しいテーブルを持ってきて設置した。それはテーブルの高さを自由に調整できるので、家内の趣味の手作業も、居間に置いてある自分のパソコンも操作しやすいのである。つまりリラックス用から仕事兼用にテーブルを替えた。それが気に入って何度も居間に降りて、お茶を飲みお菓子をつまみ、そしてパソコンもスマホも、さらに旅行会社から送られてきたパンフレットや医療の書類などもスムーズに処理できた。つまり楽しみと仕事の両方に役立った。大学でも、自分はソファーは嫌いだったからテーブルに替えた。テーブルなら仕事もでき打ち合わせもでき、物事がスムーズにはかどるのである。環境は重要で、人間の思考は環境にかなり左右されるので、新しいテーブルは脳のシナプスも弛緩することなく働いて、どことなく気持ちが前向きになる。テーブル上のお菓子類も要らないものは捨てて、自由なスペースを広くした。昨日来た家具屋さんは、古いテーブルが新しいテーブルよりも高価だったせいか、捨てるにはもったいないと家内に言ったらしいが、要らないものは邪魔になるだけだから、捨てるに限る。時にリラックスするのも必要だが、人間の本姓はどちらに向いているのだろうか。毎日、上げ膳据え膳で温泉に浸かっている生活は、苦痛以外の何物でもないだろう。少し文脈は離れるが新聞に、辞めるなと言われてうれし冬の朝(小林浦波)の句があった。年齢なのか他の事情なのかわからないが、多分仕事を辞めるなと言われたのだろう。まだ自分も働ける、まだ自分も役に立てる、まだ自分も評価してくれる人がいる、と思うだけで心が弾むのである。それが、はいご苦労さん、これからは悠々自適に暮らしてくださいと言われたら、誰でも寂しいに決まっている。引き止めてくれたから嬉しいのだということは、1階の居間のテーブルを替えたのは正解であった。リラックスもできるし仕事もできる、テーブルがまだ辞めるなよと声をかけてくれるような気がする。本当にリラックスだけを求める時は、往生する時ではないのか、死ぬ間際まで自分は活動していたい。私的なことだからブログには書かないが、今日の午前中は自分の楽しみな仕事だった。もちろん公開しても構わないが、なんとなく気恥ずかしいので、時が来るまで伏せておく。最後まで人は楽しみながら生きていけるのではないだろうか、それを目指したい。
