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今は月曜日の夕方、南向きの窓から見える空はまだ明るく、よく晴れている。今日ブログを書くのは変則的なのだが、今週は忙しく、明日も明後日もオンラインの仕事が入っていて、夕方に時間が取れないからである。今日は振替休日で土曜日から今日まで3連休なので、どことなく気持ちがリラックスしている。この3日間ずっとスポーツジムに通った。今日も先ほどジムから帰って来たばかりである。ただブログは一昨日の土曜日に書いたばかりなので、特にイベント的な出来事はない。そんな時今日の朝刊の歌壇に、母逝きて三年まだ開けられぬ母が残しし小さき手帳(助野貴美子)の句が目に留まった。とりたてて紹介するような短歌ではないのだが、自分のブログはこの手帳のようなものなのかとふと考えた。ブログとはウェブ上の記録のことだから、日記でも独り言でも意見交流でもなんでも良いのだが、ウェブなので公開されることが原則である。そこがこの母親の日記と違うところで、作者は母親が亡くなって日記を見るのが怖いような、秘密を知りたいような知りたくないような複雑な気持ちなのだろう。自分のブログは公開日記なので、見られることが前提で書いている。ただしすべて自分の本音であり事実である。そうでなければ人が読む意味はない。いわば自分史と言っても良いのだが、統計データを見ると現在897件で2020年3月からと書いてあるので、約5年間書きつづっている。なるほどいつの間にかこんなに年月がたったのか。昨日、学習情報研究という隔月の雑誌の編集後記の原稿を送った。自分が編集委員長を仰せつかったのは、ファイルを見ると2018年からなので約7年間編集後記を書きつづっている。そして明後日水曜日の夕方6時からは、自分の所属する団体の仕事である水曜サロンがある。隔週であるが、毎回ゲストを呼んで自分がホスト役になり対談するのだが、これももうじき100回になる。どれをとっても歴史を刻んでいる。そして来週に、教育センターと次期GIGAスクール構想に向けての打ち合わせをするが、自分はアドバイザーとして学校訪問をしているが、これももう4年間続いている。どれもいつの間にか年月が過ぎて、あまり振り返ることもなかった。自分の年齢から考えれば、そろそろ次のページに移っていく頃である。振り返ってみれば、自分も色々な役をいただき、それなりにこなしてきたのだろうが、何が楽しかったんだろうかと考えた。長という名の役はいろいろあったが、それに魅力は感じない。それよりも学校訪問して、先生や子供たちの織り成す生きた授業の方が、まるでドラマを見ているようで楽しく、そしてそこで気づいたいくつかをコメントとして先生にお返しすることが、自分にとっては満ち足りる一時である。水曜サロンでゲストの先生と話をすると、その人の生き様や一生懸命さに触れて、自分の身も心も洗われるような気がする。短い編集後記ではあるが、その文章は自分にとっては可愛い孫のような気がする。そしてこのブログも、良いことも悪いこともすべて言葉に書いて、自分をさらけ出すのである。何かの文献だったか、自分の考えや感情を言語化することで自分を知ることができると書いてあって、その通りだと思っている。そして年月を経て今思うことは、自分の心の在り方を、平凡であるが、もっと優しくもっと親切にもっと受け入れるようにしたいということである。凡人は誰も、高僧のように悟ってはいないので、自分を押し通したり他人を押しのけたり色々な煩悩も持っている。しかし自分はもう他人と競ったり我儘を言うような歳ではない。老いて思うことは、残りの人生を人のために役立つことを念頭において過ごしたい。教育は子供のために役立つことだからである。最後の最後までお役に立てれば、こんなに幸せなことはなく、また生きがいのある楽しい人生になるだろう。自分の残りのページをそんな花で飾りたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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