今は火曜日の夕方、いつものように書斎でパソコンに向かってブログを書こうとしている。火曜日と言っても今日は祝日なので、報道によれば昨日にお休みを取って3連休とか4連休の人もいるという。確かに若い人は連休にして骨休みするのもいいだろう。自分はリタイアしているから、よく言われるサンデー毎日なのだが、それでも気持ち的には平日と休日は違っている。久しぶりにお昼に東の公園に向かってジョギングをした。航空公園と呼ばれる広い公園には、赤ちゃんや幼児を連れた親子連れがかなりいて、きれいな青空の下でリラックスして運動したり散歩したりしている。ただ今日は風が強いので春のような気持ちにはなれず、少し前かがみになって走っていた。走るといっても、若い人から見れば散歩に近い足取りなので、ちょっとした速足程度の歩き方だろう。ただ自分にはこのくらいがちょうどよく、強い風を受けて空高く上がっているタコを見ながら風景を楽しんだ。こんな休みの日はスポーツジムでも行きたいのだが、あいにくとジムは休館日となっており、午前中に頭を使った仕事をしたので、お昼に体を動かしたくなったのだ。そしてついでに久しぶりに蕎麦屋に行って、お昼はとろろそばを食べた。これも休日の気楽さのせいだろう。1時をかなり過ぎていたのだが、多くのお客さんがいて、蕎麦が出るのを手持ち無沙汰に待っていた。することがないと人間はあれやこれやと考えるが、あまりいいことは思い浮かばず、あれはどうだったのか、これはまずかったのかなどと、なぜか自己肯定感が下がるようなことばかり浮かんでくる。これは性分なのか、あるいは年のせいなのか、いやいやそうではない、結構うまくいっているではないかなどと、自問自答しながら蕎麦屋にいた。食べ終わって帰宅する途中、スーパーマーケットが近所にあるので、そこを通ったらホタルイカやタコなどの魚も美味しそうで、珍しく甘酒なども陳列してあった。買おうと思ったがそのまま帰宅したら、家内がこれからスーパーに行くところだというので、まるで幼子のようについていった。そしてホタルイカと甘酒も買ってもらい、夕食が楽しみになった。これも休日だという気楽さが自分を動かしたのだろう。どうも甘酒は、ひな祭り用として置いてあったことに気がついて、本当に自分は子供のようだと苦笑した。年をとると子供に戻るのか、若い頃のことを振り返るのか、久しぶりにyoutubeで、嫁に来ないかの歌を聞いた。新沼謙治のきれいな高音が、昔のことを思い出させて共鳴したのか、どこか心がはずんだ。若い頃は、嫁に来ないかと直球で表現できるが、年をとるにつれて周りのことや色々な雑音も気にしながら忖度するので、ボールがあちこちに飛んだりして、つまらぬ勘繰りをされたりすることもある。自分はまっすぐに生きることを信条としてきたが、若い頃のようにはいかない。新聞に、簡単に傷つくけれど簡単に壊れずプラスチックに生きる(友常甘酢)の句があった。なるほど人の生き方はプラスチックのようなものかもしれない。生きていれば誰でも小さな心の傷を持っているが、それでもどっこいしたたかに生きる知恵も持っている。今日自分はこのプラスチックのような心境だった。蕎麦屋でつまらぬことを考えたりしていたが、美味しい蕎麦を食べ、公園をジョギングして若い人たちを眺め、スーパーで美味しそうな食材を見つけているのは、したたかに生きている証拠である。まあ前を向いて頑張ろう。
