花を咲かせる

今は土曜日の夕方、いつものブログの書き出しで恐縮だが、この曜日のこの時間に書くことにしているのでお許しいただきたい。そしていつものブログと同じように、土日はスポーツジムに行って元気をもらってくる。そしていつもと同じように帰宅したら、庭からグレープフルーツを取ってきて、少量の砂糖で甘味を添えて食べている。家内とたわいもない話をして、2階の書斎に上がってくる。この時間になると夕方の明るさがだんだんと暗くなり、西南方向の薄い黄金色が見えなくなって夜がやってくる。そしていつもの通り、マンションの灯りが点灯し、今日と数日間を振り返る。昨日は都内でイベントがあり、ほぼ一日中参加していた。今朝名刺入れを見たら、20枚以上の名刺があったので、20人以上の人と名刺交換をしたのだろう。旧知の人もいれば初めて出会う人もいる。旧知の人はまるで同窓会のように、そうか今度は関西の方に移動したのかとか、九州に転勤になったのか、ご無沙汰しております、お元気そうですねなどと話をすると、人それぞれのドラマがあって、頑張っているんだなとか、まだ燃えているなとか、感じることが多かった。話し方などは人それぞれの特徴があって、ほとんど変わらない。それがその人の個性なのだろう。中には話し方も変わってしまう人もいる。数年しか経っていないのに何かあったんだろうかと、要らぬ詮索をする人もいる。自分はどうだったのだろうかとふと思ったが、誰もが、変わらないなと言う。そしてイベントの内容とはかけ離れて、仕事の話をしたり相談事を持ち込まれたり、昨日は関係者の社交場のような印象だった。年を取れば、誰でも体力だけでなくすべての面で衰えていく。文脈は離れるが新聞に、四季ごとに花がこぼれていた庭がたった半年蔦(つた)に覆わる(関根一雄)の句があった。こんな光景を近所でもよく見かける。最近は空き家が多くなり、雑草だらけで廃屋敷とはこんなに寂しいものかと思うことがある。人間でも同じだろう。何もしなければ、古びた知識と張りのない体と愚痴だけの心になってしまい、役に立たない老害と呼ばれる人種になるのだろう。誰でもそんな老人になりたくない、どうしたらいいのだろうか。絶えず努力するしか方法はないのだ。論文や専門書を読み、スポーツジムに行って体を動かし、感動する本やテレビ番組に触れることか。それでも確実に年齢と共に衰えていくが、充実感や幸せ感は別である。20人以上の人と出会い、新たな生き方に触れて元気をもらい、新しい仕事の話をして頭を使い、帰宅して録画してあるドラマに感動する。昨日も今日も、自分は頭も体も心も、めまぐるしく動いているようで、まだ蔦に覆われる庭にはなっていない。四季ごとに小さいながらも花は咲いている。努力を忘れて体力も気力も失せた時、この短歌のような姿になるのだ。それまでは生きて生きて精一杯の花を咲かせていたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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