別の機能

今は土曜日の夕方、いつものことながらこの時刻ぐらいにブログを書くので、ブログの書き出しは同じようになってしまう。土日の休日はスポーツジムに行くことにしているので、今日も先ほどジムから帰宅したばかりである。ジムからは我が家は西方向に位置するので、西日を受けながら、正確には冬は太陽が西南の方位に沈むので、少し左斜めから優しい日差しを浴びることになる。大雪に道路や屋根を覆い尽くされている地域の皆様にはなんとも申し訳ないのだが、真っ青な空に太陽の黄金色のグラディエーションの方向に向かって歩いていると、どこか安らぎを覚える。週の終わりは、自分にとって癒しの休日なのである。この時間に書斎の窓から見る外の景色も好きで、少しずつ暗くなっていき一日が終わっていく。自宅の近所に小川が流れていて、その橋を通って我が家にたどり着くのだが、その橋のたもとで近所のおじいさんが川を見ていた。川に多分カモがいるのだと思うが、ぽつんと眺めている光景に少し寂寥感を感じて、声をかけた。ただおじいさんはそのままで、こちらを振り向かなかった。そうか、耳が遠くなったのか、年を取れば自然なことで特に驚くことでもなく、いずれ自分もその道を辿るのだと思った。ふと数日前に行った床屋のマスターとの会話を、思い出した。平日の床屋には、たぶん午前中はお客はほとんど来ないだろうから、時間があるのでテレビや新聞や携帯などで情報にアクセスしているだろう、マスターは驚くほど情報通なのである。これも、お客に話を合わせるための職業知識だろう。彼は自分にこう言った。目や口や手は自分の意思で制御できるが、耳だけは一方的に音が入ってくる。その耳が遠くなると、一切情報が遮断されることになるので、脳は情報処理をしなくなり、認知症につながる、つまり歳をとって耳が遠くなれば、認知症になりやすいという因果関係を、ある医学者が発表したと言う。それを聞いて、なるほどその通りだと納得した。ふと家内の言ったことを思い出した。耳が遠くなったら安い補聴器は雑音もすべて聞こえるので買ってはいけない、高くて性能の良い補聴器を付ける方が良いと自分に忠告したことがあるが、これもその通りと納得した。自分はまだ耳は大丈夫なので問題はないのだが、確かに人の話が聞こえなくなると、今のほとんどの仕事はできなくなる。これだけは自分で制御できないので、難聴にならないように神に祈るしかない。そんなことを考えていたら、新聞に、難聴の姉は文字だけが楽しみと手紙のやりとり元気に百三歳(鈴木和子)の句が目に留まった。この長寿の方は素晴らしい。耳の代わりに目を使って情報を処理して、生きる喜びを味わっているのか、手紙のやりとりが楽しみだという言葉に自分は元気をもらった。年を取れば、若い頃と違って体の機能も衰え、脳の働きも鈍くなるだろう。しかし嘆くことはないのだ、別の機能がより一層働いて、楽しむこともできるのだ。そういえばベートーベンは、難聴というより一切音が聞こえなかったと言われる。にもかかわらず、それ以降に、運命などの名曲を創作したと言う。それでもいろいろ苦しむことはあっただろう、悩むことも多かったに違いない。しかしそれに慣れていけば、人は別の機能が発達して、人生を充実して生きることができるようだ。これから先、自分もいろいろなものを失っていく年齢になるが、それに代わるような別の能力が発揮できれば、こんな幸せはないと思った。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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