どの年代も

今は1月4日土曜日の夕方である。このブログにアクセスされている方には、明けましておめでとうと、ご挨拶しておく。あっという間に三が日も過ぎて、毎年の事ながら普段の日に戻った。今日は土曜日なので、まだお正月の余韻が残っている。2日の午後、皆とお墓参りをして、8人と2匹の犬と墓地でお別れをし、3台の車が、それぞれの帰路についた。あの賑やかな時は終わり、静かな老夫婦だけの生活に戻った。それもまた良し、こうして来週からは仕事が始まる。と言っても審査系の仕事があって、元日も2日も少しづつだが、こなしていたので、お正月ではなくて休日の延長のような気分であった。特に昨日3日は全日仕事に集中できたので、今日は焦る気持ちが和らいだ。年をとると、余裕がないと気持ちばかり先に行って、免許を取ったばかりの車の運転のような仕事ぶりになってしまう。だから今日は午前中は仕事をして、午後は予定通りスポーツジムに出かけた。土日にスポーツジムに行く計画なので、仕事も頭から離れ、さわやかな気分になれるのである。30階近い高層マンションの1階から3階までに、スポーツジムがある。2階はプールだがテラスのようなスペースがあって、そこにジャグジーがある。そこから市内が一望でき、今日は典型的な冬空を眺め、冷たい風にあたりながら、露天風呂のような気分でリラックスした。青空を見ると、なぜかいろいろなことが頭をよぎってくる。プライベートなことは書かないが、今年はこうしようと決意したことがあった。若い時も年をとっても新年は気持ちが新たになり、こうしようとかあーしようとか、こうなったらどうしようという不安もよぎったり、こんなことをやってみたいなどの希望も湧いてくる。ただ年をとってくると、一般的には不安の方が大きくなるだろう。老後の年金だとか病気だとか仕事だとか家族だとか、いろいろな自分の身の回りのことが気になり始めるようだ。若い頃は、老年になったら気楽になるだろうと思っていても、現実にはそうなる場合もあればそうならない場合もある。だからスポーツジムに行ってジャグジーに浸っている時に、空想する。この年になってみると、人生は面白いことや楽しいこともあるし、辛いことや悔しいこともある。多分ほとんどの人はそのような生き方をしているから、自分もその平凡な一人である。子供たちや孫たちが帰った後、老夫婦で夕食をとる時、ほっとする気持ちと同時に不安がよぎることもあり、そしてこれでよいのだと安心することもある。ここで新聞の俳句や短歌を引きたいのだが、あいにくと年末年始は俳壇や歌壇が掲載されていない。仕方なく昨年の1月の句を引用する。団塊の世代のしっぽも古希過ぎて集へば老いゆく不安など言ふ(佐藤志乃)。気持ちはよくわかる。2日と3日の箱根駅伝を少し見たが、なるほどこれが若さかと思うような走る姿に元気をもらった。ずっと見ていると仕事ができないので、毎年垣間見ることにしている。大学生の最も元気な年代から、仕事に揉まれ翻弄される年代を経て、老年になり静かにそこから離れていき、そこは平穏で安泰な世界なのかと思っても、どこか不安が起きてくるようだ。若い年代が幸せいっぱいなのかというと、そうでもなくそれぞれに波があるのだ。だとすると、いつの時代も良きことも悪しきこともすべて起きてきて、それを認めて悔いないように生きるしかないのだろうか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す