庶民の願い

今は火曜日の夕方であるが、午後5時半ぐらいになると外は真っ暗で、2階にある書斎から外を見ると、マンション群の灯りが見える。エアコンと加湿器をつけて机に向かっていると、冬の一日をそれなりに仕事をしたように思える。昨日は都内で仕事があって忙しい一日だったが、今日はオンライン会議だけなのだが、それでもあまり時間的な余裕はなく、気が付いてみたら外は夜になっていた。オンライン会議の前に、歩いて5分ぐらいのところにある石油屋さんに行って、ストーブの灯油を買ってきた。もちろん部屋の暖房はエアコンが中心なのだが、家内が言うにはストーブの方が経済的で部屋全体が温まるのだと言う。言われてみるとなんとなくそんな気がして、もし地震とか災害が起きた時には、電気がなくてもこの石油ストーブがあればなんとかなる。当たり前なのだがストーブを見ると、冬が来たんだと実感する。昨日都内に出かけた時は、マフラーをした。これで首筋が暖かかったので寒い風も苦にならなかった。オンライン会議のような仕事もあれば、生活をしていると灯油を買いに行くとか、眼科クリニックに定期的な検査に行くなどの生活に必需な仕事もあり、ブログを書くという趣味のような仕事もある。ずっと好きな仕事だけなどというのはありえないし、長続きもしないだろう。ある時期にはそのように没頭することもあるが、それは特殊な時期であり、平穏無事な時期ではない。平凡とは、都内に出かけて会議に出席したり、会議を仕切って結論を出したり、自宅にいる時は、家内に言われて買い物をしたり、書斎でデスクワークをしたり、つまり雑多なのである。人はいろんなことをしながら過ごしているから、たいていのことに対応できる。天才肌の人は多分道を極めようとしているので、雑用的なことは興味もなく苦手かもしれない。市井の凡人は、自分の好きなことに集中することもあるがそれは稀で、雑用の中に埋もれて生きているのだ。大学の研究室にいた時のことを思うと、あれは世の中と違っている、別の世界で夢中になって面白がっていたようだ。今の生活は、時々その研究の世界に入る場合もあるが、何気ない普段の生活の中にも味わい深い営みがあることに気がつく。灯油を買う時の店員さんの手付きはさすが慣れていると思い、眼科クリニックに行けば、先生も看護婦さんも専門的な知識は表に出さず、にこやかに患者に対応する、なるほどここもお客さん商売なのかと思う。そして天は、誰にも平等に時間を与え、時を過ごしている。あれほど暑いと言いながら、今年は秋がないのかとぼやきながらも、マフラーがないと外に出るのが億劫になるような寒さがやってきた。来年はどんな年になるのだろうかとふと思う。平凡が一番、自分も含めて家族が健康であればそれで良し、贅沢は言わないし欲しくもないから、休める家と食事ができればそれで良し、これから良いことも悪いこともやってくるだろうがそれが小さな波であればそれで良し、時の流れに身を任せて来年も過ごそう。文脈は離れるが新聞に、マフラーに顔半分の立ち話(松崎映子)の句があった。寒い風をよけようとしてマフラーを顔半分に覆っているが、それでも立ち話ぐらいはできる。今年も色々あったねとか、今年は元旦に大地震が起きたとか、来年は災害が起きないように願いたいとか、できれば良いことがありますようにとか、庶民の願いは皆同じである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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