今は土曜日の夕方なので、ブログを書く予定の日時である。実は今週の初めから風邪気味で咳とくしゃみでティッシュがすぐになくなり、集中力も下降しているが、今は時間があるので書くのだが、どんな内容になるかは不安である。今週は急に気温が下がり、少し体調を崩したのだろうと思う。多分夜中に目が覚めるのは、寝室の気温のせいではないかと思う。家内に言われて昨日は電気アンカをベッドに入れたら、ぐっすり明け方まで休めた。年をとると確かに寒いのは堪えるようだ。漢方の風邪薬は飲んでいるが、熱もなく軽い風邪なのでマスクをして仕事をしている。今週は電車に乗って出かける仕事が3日もあって、あまり気乗りがしなかった。昨日は研究会なので、ほぼ一日出かけて勉強させてもらった。授業の参観なのだが、自分にとっては文字通り勉強させてもらうのである。それは仕事とは言え、他の仕事とは異なっており、一言で言えば研究なのである。授業参観自身が楽しく喜びであり探究する活動であり、探究とは気づきなので、オーバーに言えば発見である。それは面白いに決まっているし、趣味と言ってもいいだろう。思えば自分は長い間、贅沢な仕事をさせてもらった。ただ昨日は約束していた懇親会だけは失礼させてもらった。マスクを外して会食すれば風邪がうつるかもしれず、申し訳ないが自分の我儘を許してもらった。ありがたいことに、研究会の同僚の2人が自分の代わりに参加してもらい面目は立った。おかげで昨日は夜遅くはならず、いつもの通りお風呂に入って晩酌をしながら夕食をいただいた。年をとるごとに外での会食は控えめになり、我が家の夕食がこの上無く安らぐ一時になっている。食事だけでなく他県へ行ったり都内に出かけて仕事をするよりも、所沢市内の仕事の方が、あるいは自宅でオンラインで仕事をする方が、はるかにありがたい。いわば全国区ではなく地方区の立場になった。今の自分にはそれが合っている。といっても、引きこもりのようにふさぎこんでいるわけではない。趣味のような仕事であれば、若い頃と同じように心が弾む。新聞に、知らざりきあっという間の晩年と悔いはなけれど老いは淋しき(飛田多恵子)の句があった。確かにこのような高齢者は多いだろう。老いるということは、体力も知力も気力も減衰していくのが自然だからである。ただ自分は自然だからという理由に対して、少し違和感を持っている。先に述べたように、わくわくすることはまだある。老いれば別の能力が広がるような気がする。説明すると紙幅が足らないが、これまで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえ、感じなかったものが感じるからである。若い頃の探究が深く掘り下げる縦糸だとすれば、老いた時の探究は水平に広がる平面的な横糸なのである。だから探究さえすれば、老いは怖くないし、淋しがることもないと思っている。
